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雑念や重圧…イチロー流の「受け入れる」境地

スポーツライター 丹羽政善

5月5日にマリナーズの本拠地、セーフコ・フィールドで行われたレンジャーズ戦のこと。2-0とリードして迎えた七回裏、2死二塁という場面でイチローは打席に入った。

ここでタイムリーヒットが出れば、ほぼ試合の行方が決まる――。そんなシチュエーションである。

敬遠するかどうか

キャッチャーがしきりにベンチをうかがっていた。一塁が空いている。敬遠するのかどうか、監督の意思を確かめていたのだろう。

マウンド上にいたのは2年前まで広島カープのユニホームを着て大活躍、昨年から古巣のレンジャーズに復帰していたコルビー・ルイスだった。

その日はこの打席までにイチローに対して3打数1安打。通算でも40打数15安打(.375)と分が悪い。

セオリー重視の監督なら、ためらうことなく敬遠の指示を出すところだろう。次の打者のルイス・ロドリゲスは控え内野手で、今季の打率はそれまで2割1分8厘だった。

イチローも戸惑う

ところが、レンジャーズ側の選択は「勝負」。1球目、2球目がともに外れて2ボールとなると、ここでマイク・マダックス投手コーチがマウンドに向かって、ルイスの意思を確認したが、やはり捕手は座った。ルイスはイチローとの勝負にこだわったのである。

これには、イチローが戸惑ったに違いない。2ボールになった段階で、十中八九、敬遠という場面である。

しかし、イチローは「そうしたことは踏まえた上」と冷静だった。

敬遠してくるのか、勝負なのか。集中力をそぐようなそうした考えは、当然のようにイチローの頭を横切ったそうだ。

すべて受け入れる

いわば、一種の雑念。ただ、「その気持ちが起こるのはしょうがない。その状況が目の前にあるのも事実」というイチローは、こんな風に状況を捉えている。

「それも(試合の)一部。それも含めて、結局やらないといけない」

イチローは普段から、心の乱れ、迷い――そういった本来なら邪魔な要素をすべて受け入れてしまうのである。

「消せないから。(そうしようとするのでは)前には進めない」

「苦しみを背負ってプレーするしかない」

相変わらず何かを含んだ言い方だが、この考え方は、彼のプレッシャーに対するアプローチに似ている。

かつてはイチローも、プレッシャーをどう取り除くか、その排除を考えたこともあるそうだ。しかし、至った境地は「プレッシャーから解き放たれるのは不可能」。

2004年にメジャーの年間通算安打を記録した時点で、「(プレッシャーから逃れる)方法はない。その苦しみを背負ってプレーするしかない」と定まった。以来、その軸にブレはない。

07年などは、あえて「自分への負荷をかけていった」とシーズンが終わってから話した。

チームはシーズンの終盤にプレーオフ争いから脱落。自らも最後の最後で首位打者を逃したものの、「それ(プレッシャー)を避けてきたシーズンとではやっぱり違う。やりきった」と充実感を口にした。

雑念を振り払おうとしているのでは…

イチローは「(プレッシャー)立ち向かってクリアしないと、何かを越えられない」と話したこともある。それと同じように、雑念を振り払おうとしているのでは「前に進めない」ということになるのだろう。

イチローはこう続けた。

「平常心を保とうとする人と一緒。そうなるように持っていかないと、いけないわけですから。しようと思っているようでは、そのレベルに達していない」

打席に入る前、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせている選手に対し、「そんなの無駄、無駄」と冷水を浴びせるようなものだが、それはある意味、それは真理である。

そして、そうしたイチローの言葉の裏には、くぐり抜けてきた修羅場の数が透けて見える。

「木鶏」の境地

「木鶏」という言葉を思い出した。

もともとは中国の故事に由来し、木彫りの鶏のように、相手にも惑わされず、全く動じるところがない――という精神状態をさし、1939年、名横綱双葉山の連勝が「69」で止まった夜、「いまだ木鶏たりえず」と口にしたとされている。以後、スポーツ界では目指す高みと位置づけられるようになった。

イチローの場合、雑念を振り払うことは無理、と言っている時点で、木鶏の境地に達することをあきらめているようにも聞こえるが、受け入れることによって向かうところは、そうした境地とさして違わないのではないか。

4球目を左前へ適時打

ところでこの打席の結果だが、3球目がファウルで2ボール1ストライクになった後、4球目をイチローはレフト前へタイムリー。得点は3-0となって、試合はそのままマリナーズが3-1で勝った。

勝負にこだわったルイス。

「低めに投げれば、内野ゴロに打ち取れると思ったんだけれど……」

その先の言葉は胸にしまったものの、迷い、そして後悔が言葉のはしばしににじんだ。

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