虎ノ門、マッカーサー道路を歩く

東京都港区の虎ノ門から新橋の間で、大規模な道路工事が進んでいる。一帯の街区を含め総事業費約2340億円、環状2号線の一部となる通称「マッカーサー道路」(約1.4キロメートル)だ。
1946年(昭和21年)、国が虎ノ門の米国大使館近くから東京湾の竹芝桟橋まで通じる100メートル幅の道路計画を決めた。しかし事業は進まず内容は見直され、60年以上の時を経て、近年、ようやく計画が動き出した。
幻といわれた道路が通る街のことが知りたくて、虎の門病院付近から歩いてみた。
桜田通りに出る手前に、大きな石がいくつも並んでいた。マッカーサー道路の工事現場で、東京都埋蔵文化財センターが発掘調査して出た石垣の一部だという。かつてこの一帯は「日比谷入り江」と呼ばれていた。徳川家康が入府してから埋め立て、江戸時代は武家屋敷が並んでいた。

桜田通りを渡るとオフィスビルの間に創立137年目を迎えた芝教会がある。礼拝堂は日によって一般に開放される。運良くパイプオルガンの練習があり、荘厳な音色にしばらく聴き入った。
教会近くに森ビルの超高層ビル予定地がある。地上52階建てで、六本木ヒルズ森タワーくらいの高さになるという。
愛宕側に行くと、店のガラス扉越しに男性の姿が見えた。石田不識さん(73)は琵琶製作者。「石田琵琶店」は製作過程を見学できる。
街のことを聞くと「昭和50年代まで、この辺りには八百屋や魚屋などがあった」と、オフィス街からは想像できない、生活感のある街だったことを教えてくれた。

愛宕通りを北へ進むと、古い建物が目にとまった。
1872年(明治5年)創業の「大坂屋虎ノ門砂場」は、大正時代に建てた木造家屋を改装して使い続けている。5代目の稲垣隆一さん(72)は「ビルに建て替える話もあったのですが、6代目に昔ながらの店で後を継ぎたいといわれて」と都会の真ん中でのれんを引き継ぐ。おすすめの辛みそばを食べた。おろした辛み大根がぴりっと来て、食欲を刺激し、箸が進む。
外堀通りと赤レンガ通りの交差点にあるのは、錠や建築金物を扱う堀商店だ。1932年(昭和7年)築の建物は現役で、文化庁の登録有形文化財に指定されている。1階のショールームに入るとレトロな雰囲気に包まれた。
柳通りに出ると揚げ物の香りに誘われた。石塚商店で揚げたてのコロッケを注文する。すぐに食べるというと「熱々なので気をつけて」といってソースをかけてくれた。サクッとした歯応えとジャガイモの甘みが心地よく、町歩きで少し疲れた体を癒やしてくれた。

第一京浜に面して建つ日比谷神社の歴史は、まちづくりと深く関わる。古くは日比谷公園の大塚山にあり、江戸城築城と日比谷御門の造営で芝口(現新橋3丁目のJR高架下付近)へ移った。その後、鉄道敷設などにより1928年(昭和3年)、愛宕下町(現新橋4丁目)へ遷座した。そしてマッカーサー道路の建設で2009年、3度目の引っ越しを余儀なくされた。「今年はみこしが出せます」と禰宜の三宅徳行さん(49)は張り切っている。
神社の背後にみえるのは、パークホテル東京。25階にラウンジがあり、曜日限定で無料のジャズライブが開かれ、気軽に立ち寄れる。窓越しに新橋から虎ノ門に向けて真っすぐに延びるマッカーサー道路を見下ろす。夕暮れの街並みに工事現場の明かりが光の道になって浮かび上がる。これからどのような街になるのか。まだ見ぬ「道」に思いをはせた。
[写真・文 小川望]
(日経マガジンの掲載記事を基に再構成)