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香川真司「ドイツでも僕の一瞬のスピード生きている」

「ケガからの復帰、4月中旬が理想」

サッカーJリーグのC大阪から21歳でドイツに渡ったMF香川真司がゴールを量産し、またたく間にドイツのサッカーファンのアイドルになった。1月のアジアカップで右足小指の付け根を骨折し、戦線を離脱しているが、そのアグレッシブなプレーは日本サッカーの将来を明るく照らしている。4月の復帰を目指してリハビリ中の香川に、自身のサッカーのスタイルとその背景にあるものを語ってもらった。

試合重ねるうち、いいパスが来るように

――ドイツでもやれると確信したのはいつ?

「ドルトムントでの練習の初日に、これなら通用すると感じた。技術の面でも俊敏性でも負けていなかったので。ただし、結果を出さないと認めてもらえないと思っていた。試合でいかに結果を出すかを考えた」

「ブンデスリーガのDFは大きいけれど、俊敏性は低くて、横への動きが遅い。そういう中だから、僕のドリブルや一瞬のスピードが生きているのだと思う」

――ボールがよく集まっている。

「試合を重ねるうちに、いいパスが来るようになった。常に僕を見てくれている。自分が攻撃のスイッチになっていると思う」

――クロップ監督にはどういうことを言われているのか。

「イージーなミスを許さず、ダイナミックなシュートを打つとか、大きく展開するとか、思い切ってドリブルを仕掛けろと言われている」

考えながら走ってチームが連動しないと

――現代サッカーでは守備が組織的になっているので、崩すのが難しい。

「アジアカップもそうだったけれど、相手が引いて守備的にくると、なかなか崩せない。ああなるとバルセロナ(スペイン)のようなチームであっても難しいと思う」

「崩れなくても、何回も同じことにトライするのが大切。そうしているうちに守備ラインが乱れるかもしれない。ただ走るのではなく、考えながら走って、チームが連動しなくてはならない。チームの動きが一つになったとき、チャンスが訪れる」

ポジショニングにセンスが表れる

――どういう位置取りを心掛けているのか。

「体が大きいわけではないので、ポジショニングにはこだわっている。理想はゴールに直結するポジションを取ること。ポジションの取り方は教えられて身につくものではない。自分の攻撃のセンスが表れるもの」

「パスを出した後に立ち止まらない。ムダな走りになるかもしれないけれど、ボールがこぼれてくるかもしれないから。何が起こるかわからないので、とにかくゴール前に走り込んでいく」

――狭いスペースでよくパスを受けている。

「言葉は悪いけれど、狭いところで相手をおちょくるのが好き。密集しているところに入っていって、ドリブルや壁パスでかわしていくのが気持ちがいい。もちろん、密集しているところではボールを失うリスクがあるけれど、そこを抜けていったときに大きなチャンスになる。ゴール前ではリスクを負わなくてはいけない」

前を向けば可能性が生まれる

――ボールの置き方で重視していることは。

「パスができて、シュートが打てて、ドリブルにも入れる位置にボールを置くようにしている。それだけの選択肢を持っている。前を向いてボールを受けるのが一番いい。簡単に言えば、半身になってパスを待つということ」

「前を向けば、すべての可能性が生まれる。だから常に動きながら、前を向いてパスを受けられるポジションを狙っている。DFを背負ってパスを受けて、ターンして前を向き、仕掛けるのでは遅い。僕のストロングポイントは技術の精度の高さとパスの受け方だと思う」

――日本代表でも長谷部らが、その特徴を理解し始めている。

「いろいろ話し合ったり、試合中に要求したりしている。カタール戦の得点シーンのようなボランチからの縦パスが好き。あのパスはダイレクトで出たし、スピードも素晴らしかった。ああいうパスを相手の2人のDFの間で受けられれば、DFを置き去りにできる」

――視野は広く保てているか。

「視野が広いほうだとは思わない。プレッシャーを受けて、狭まってしまうことがある。試合をビデオで見ると、あそこではなく、もっと外に出すべきだったということがよくある。パスセンスがあるとも思えない」

いま目標にしているのはイニエスタ

――好きな選手は。

「鹿島時代のジーコが好きだった。いま、目標にしているのはイニエスタ(スペイン代表)。状況判断が素晴らしく、イージーミスをしない。そういう部分は自分も上げていかなくては」

――サッカーを始めたのはいつ。

「幼稚園のころ。寝室の畳の上でボールを蹴っていたのを覚えている。家の目の前に公園があって、そこでのストリートサッカーが僕の原点。小学校から帰ると、暗くなるまでボールを蹴っていた。お母さんが家のベランダから『ご飯やでえ』と言うまで続けた」

夢を持っていたから、いまの自分がある

「木の間をゴールにしていたので、2つのゴールの大きさは違っていた。1人のときもあったけれど、たいていは友達とゲームをした。フットサルのコートくらいのところで2対2をした。人数が10人ほどになったときは、もっとコートを大きくとって、両サイドにある階段の幅をゴールにした」

「メンバーが奇数のときは、人数の少ないほうでプレーした。年上とやることもあったし、年下とやることもあった。僕の技術はそこで培ったもの。いま思えば、素晴らしい環境だった」

「サッカーを始めたころから、プロの選手になりたかった。より具体的に考えて、プロを目指し始めたのは高校1年のとき。そのときからプロに入るための準備をしてきた。子どものころは飛び抜けた選手ではなかった。信念とか夢を持っていたから、いまの自分があると思う」

勝負せずにパスをすると「逃げるな」

――中学・高校時代は仙台市のFCみやぎバルセロナでプレーした。

「小学時代のクラブのコーチが勧めてくれた。小学5年のときに2週間ほど練習参加して、そのサッカースタイルに引かれた。組織の中で大人のサッカーをするJリーグの下部組織とはだいぶ違う。FCみやぎバルセロナは個性を前面に押し出したサッカーをする」

「パスを回してゴールすると『そんなきれいなサッカーを目指しているわけではない』としかられた。1対1で勝負せずにパスをすると『逃げるな』と言われた。サイドからのセンタリングなどはない。第一に優先すべきは個人の突破。中央からでも、サイドからでも、どんどん個人で突破していく」

自覚と責任感が自然に芽生えた

「いわゆる団子サッカーですよ。1人が10人に立ち向かっていく。周りの選手がボールを呼んでも、なかなか出て来ない。日本にはなかなかないんじゃないかと思う。そういうサッカーをしていたので、いまでもパスを後方に下げるのは嫌い。世界で戦ううえでは、大事なことを教わった。いまのプレースタイルは中学・高校時代に築き上げたもの」

――12歳で親元を離れて仙台に行った。

「いま思えば、すごく勇気のある決断だった。でも、そのときはとにかくプロ選手になるために、自分が伸びる環境でプレーしたい一心だった」

「両親は常に僕がやりたいことを優先して、その後押しをしてくれた。やるやらない、行く行かないを最終的に決断するのは自分だった。親はアドバイスはしてくれるけれど、決めるのは自分。仙台に行ってお金も掛かっていたので、自覚と責任感が自然に芽生えた」

――高校までのポジションは。

「中学時代はFWで、高校からボランチだった。ボランチのところからドリブルで仕掛けていく選手は世界を見渡してもいない。だからこそ、そういう選手になろうと思っていた。ボランチがドリブルで出て行ったら、相手は止めようがない」

コンバートでゴールへの意識が高まった

――C大阪入りして2年目に、クルピ監督が一列前のMFにコンバートした。

「若いうちは、より高いポジションで積極的に仕掛けていき、ゴールを狙うことが大事という説明だった。最初のころは何でかなと思ったけれど、ボランチならいつでもできると思って受け入れた。あのままボランチをしていたら、はしっこいだけの選手になってしまったかもしれない。あのコンバートでゴールへの意識が高まった」

――プロ入り直後まではスピードがそれほどでもなかった?

「プロではどちらかというと遅いほうだったのかもしれない。でも、攻撃的なポジションを与えられて、プロの試合に出続けたことで、前に出て行く力がついた。走り方を変えたわけではない。ポジション一つで変わるものなのだと思う。いまはスピードが売り物になっているのだから、不思議な気がする」

練習で身につかないものが公式戦では身につく

――クルピ監督の教えで決定力が増した。

「GKをかわせば、ゴールできる確率は一番高いと、いつも言われた。GKと1対1になったら、動きをよく見て、抜きなさいと。試合に出て、ファンが見守るプレッシャーの中でプレーし続けた結果、落ち着きが出た。練習や練習試合では身につかないものが、公式戦では身につく」

――昨年のW杯南アフリカ大会では登録メンバーに入れず、バックアップメンバーに甘んじた。

「試合に出られないので、精神的に苦しかった。そういう中でチームは勝っていたので、複雑な心境だった。でも、それを表情に出すわけにはいかなかった。この経験も必ずプラスになると自分に言い聞かせていた」

復帰して優勝を決めることができれば

――1月のアジアカップ準決勝で右足小指の付け根を骨折し、いまはリハビリを続けている。

「今回のケガにはかなりの衝撃を受けた。これほど長くケガで離脱するのは初めてなので。自分の成長が止まっているようで、もどかしいし、いらだつ。何とか自分を落ち着かせていますが……」

「毎週、欧州で日本人選手が活躍しているニュースを見ると、悔しさがわいてくる。みんな、いい舞台で戦えているなと思う。いまは欧州リーグが一番熱い時期なので」

――復帰への予定は。

「理想は4月中旬の戦線復帰。ラスト4、5試合になっているけれど、そこで復帰して優勝を決めることができたら格好がいい」

「いまは体幹やお尻周りを鍛えている。C大阪時代から体幹は鍛えていたけれど、まだ体がぶれることがある。今回、ケガをしたのも体がぶれて、バランスを崩したからかもしれない」

世界のトップクラブでプレーするのが目標

「世界のトップで戦うためには、もっといい体をつくらなければ厳しい。こういうふうにじっくり体を鍛える時間はなかなかない。新たな自分をつくるチャンスだと解釈している」

――世界のトップでというのは、トップクラブでプレーしたいということ?

「世界のトップクラブで主力としてプレーするのが、僕の目標。そういうチャンスはあると信じているし、いまはその準備期間だと考えている」

(聞き手は編集委員 吉田誠一)

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