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アジア杯優勝、もうドーハは「悲劇の地」ではなくなった
編集委員 武智幸徳

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2011/1/31 7:00
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日本がサッカーのアジア王者の座に返り咲いた。29日、カタールで行われたアジア・カップの決勝で、日本は初優勝を狙ったオーストラリアを1-0で下し、2004年中国大会以来の頂点に立った。4度目の優勝は大会最多。昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会での活躍と合わせ、日本を「アジアの盟主」と呼んでも差し支えないだろう。

■92年の初Vから日本サッカーは劇的に変化

日本のアジア・カップ初優勝は1992年広島大会である。初めて招いた外国人指揮官であるハンス・オフト監督に率いられ、ブラジルから帰化したラモス瑠偉を司令塔にカズ(三浦知良)、松永成立、柱谷哲二、井原正巳、北沢豪、中山雅史、福田正博、堀池巧、都並敏史、高木琢也、森保一といった個性的な面々が堂々とタイトルを勝ち取った。

翌年にはプロサッカーのJリーグ発足が控えていた。選手たちはアマチュアからプロへの転換期にあって「勝ってこそ」「見せてこそ」という特別な使命感に燃えていた。それがある種の気張りをプレーに与え、タイトルへの原動力にもなった。

その初優勝から日本のサッカーは劇的に変化した。Jリーグの成功、W杯の招致、W杯フランス大会初出場……。

■日本躍進のヒストリー

92年から今大会までアジア・カップは6回開かれたが、日本はそのうち4回(92年、2000年、04年、11年)を制したことになる。ここ20年近くのアジアカップの歴史は、そのまま日本躍進のヒストリーといっていいだろう。

大会記録を更新する4度目の優勝が、カタールの首都ドーハで記されたことも感慨深い。日本サッカー協会の小倉純二会長には親日家のカタール人の友人がいるのだが、初対面の日本人に「ドーハから来た」と自己紹介すると「ああ、あのドーハの悲劇の」という反応が決まって返ってくるのだそうだ。

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