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「プロ根性」は自主トレの時期にたたき込め

自主トレとは名ばかりのお仕着せ練習、18歳の高校出身選手も22歳の大学出身選手も同じメニューをこなす横並び練習……。1月のこの時期は、有望新人の始動の様子が伝わってくる期待に満ちた時期だが、その練習が果たして彼らのスタートにはずみをつけてやれるものかとなると、心もとない限りだ。私にとってこの時期は「プロ野球ってこれでいいのか?」と考えさせられる季節なのだ。

新人は球団の指導が認められているが…

私がプロにデビューしたその昔は自主トレとキャンプの区別もなく、1月からユニホームで練習した、と記憶している。今では12月と1月、球団は選手にノータッチというのが原則で、2月のキャンプ前はユニホームの着用も禁止される。コーチも指導してはならない。

ただ、新人だけは最初なので勝手がわからないだろうということで、球団の指導が認められ、必然的にみんな同じメニューをこなすのだが、これは間違いだろう。

この時期、一番選手に覚えてもらわなければならないことは何か。それは「プロとは自己責任の世界」という大原則だ。そんなの当たり前じゃないか、と思われるだろうが、これがなかなか……。

プロは個人事業主の集まり

プロに入りながら、この原則を知らぬままつぶれていった選手がいかに多いか。みんなと同じメニューをこなすために一生懸命頑張ったところで、無理をして故障したら昨年の菊池雄星(西武)みたいなことになる。

覚えておかなければいけないのは、野球は団体競技だが、プロは個人事業主の集まりだということだ。アマチュアなら負けても「みんなの責任」ですむが、プロの場合は結果が100パーセント、個人に返ってくる。

「おれは集団の和を乱さず頑張った」とか「組織のためにおれは犠牲を払ったんだ」とかいっても、駄目なときは解雇という形で、本人が責任を取らされる。

それがプロという世界なのだということを教えるのは、彼らがスタートラインに立ったこの時期しかない。それなのに、いかに団体行動になじませるかということを主眼にしているかにみえる日本の自主トレは的外れで、そらぞらしい。

「先輩にも決して負けないぞ」

かく言う私も新人のころは球団の指令に従ってメニューをこなした。うさぎ跳びなど、今では「百害あって一利なし」といわれている練習でも黙ってこなすしかなかった。誰もトレーニング理論というものを持たない"原始時代"だった。理不尽な練習にも壊れないたくましさをもった者だけが生き残るという荒っぽい時代だった。

しかし、与えられたメニューをこなすなかでも、私が常に意識していたのは「同期生はもちろん、先輩にも決して負けないぞ」ということだった。

ブルペンに入ればチラチラ横で投げる先輩投手の投球を見る。「去年の10勝ピッチャーでこの程度か。じゃおれも10勝ぐらいはいけるな」とか、ランニングでも絶対に譲らず、「プロでもおれのスタミナは通用する」とか、ギラギラしていた。

常に一歩先へ、という意識

常に周りの様子をうかがって比較していたから、せこいといえばせこかったわけだが、とにかくチームのみんながライバルで、こいつらより一歩でも半歩でも先に出てやるぞ、という気持ちだった。

自主トレ段階では私の球が一番速かった。そのうち先輩たちも調子を出してくるだろうな、と思いながら必死にやっているうちにキャンプ、オープン戦。そして公式戦。最後まで私を追い抜く人は出てこなかった。

常に一歩先へ、という意識が厳しい競争を勝ち抜かせてくれたのである。

「抜け駆け」「出し抜く」……。表現はいろいろあるだろうが、プロともなればとにかく人と違った何かを持たなくては、という意識が大切だ。

そうした動機づけをしてやるのが自主トレではないか。「他人を蹴落としてでも生き残ってやる」という野獣の本能を呼び覚ましてやるのが本当の練習なのだ。

教官タイプのコーチはいらない

それが今の練習はいかに仲間とうまくやるか、コーチの決めたメニューをこなすかに主眼が置かれているかのようだ。本末転倒もいいところだ。

なぜ、こういうことになるかというと、看守よろしく監視の目を光らすコーチの存在があるだろう。自主トレだからそう厳しく指導するわけではないが、その目が光っていることを選手は当然意識している。手抜きはないか、言いつけを守らないやつはいないか。

これが日本のコーチのいけないところで、どうしても一段高いところから監視して、団体行動からはずれるとピーッと警笛をならすような"教官"タイプになってしまう。

戦争経験者が指導者にいた私たちの時代は、いわゆる軍隊式が残っていた。あの時代ほどではないけれど、まだまだ「コーチの命令は絶対」のような鬼軍曹的指導者はいる。

練習は何のためにするものか

ただでさえ注目されている新人選手は落後したくないから、必死だ。コーチに怒られるところもみられたくない。

そうした中で選手が「他人と同じことをこなしていれば、誰にも何もいわれないだろう」とか「無難に自主トレを乗り切りたい」という後ろ向きの気持ちで練習に取り組むようになるのは無理もないことなのである。

練習とは「誰にも何も言われない」ようにするためにやるものなのか、お金を稼げるようになるためにやるものなのか。答えはハッキリしているのだけれど、残念ながら、日本の練習はそこのところが全くあいまいになっている。

そんな視点から自主トレの様子を眺めていて感心するのは日本ハムの斎藤佑樹だ。自主トレとも思えぬ観衆が詰めかけるなかで、18日には初ブルペンが大きなニュースとなった。

日本ハムの斎藤は騒々しさに惑わされず

彼はその騒々しさに惑わされることなく、自分のペースを守った。「他人に流されず、自分のペースで調整したい」といい、32球に抑えた。「普段通りにやって、それで実力がなければ2軍で鍛え直せばいい。だから格好をつける必要もない」。これはなかなか言えるセリフではない。

この辺は大学で、もまれてきたこともあるだろう。大学球界の縦社会のなかで生き残るには野球以外の処世術、自己コントロール術が求められる。大学の4年を経て、生来のクレバーさに完璧なまで磨きがかかった斎藤に、オーバーペースの心配はなさそうだ。

しかし、斎藤並みの才覚を最初から"内蔵"してプロに入ってくる選手はまずいない。だからこそ、本当の意味の自主トレが必要なのだ。

大物新人が休んだり、リタイアしたりすると、マスコミはすぐおもしろがって「手抜き」だとか、マイナスイメージの言葉で話を盛り上げたがるが、実際この先何が一番必要かというと、自分の状態を把握し、故障しないように自分でペースを設定するという能力だろう。

プロの手抜きとは自己管理のことだと思ってもらいたい。

プロはすべてが自分の責任

新人だから練習方法がわからないというが、プロに入ってくるような選手は大学や社会人、あるいは高校で相当のノウハウと自分なりのトレーニングスタイルを身につけてきていると考えていい。今どきはジュニアでも相当のトレーニング理論を学んで指導している。

2月1日にユニホームを着ればいやが応でも、団体行動にはめられる。つかの間の自主練習が許されるこの時期からみんなでマスゲームとは論外。

「おれはおれ、成功したあかつきのビッグマネーも、故障してクビになる悲哀もすべて自分次第であり、自分の責任なのだ」というプロ根性をたたき込むことこそ、ユニホームを着ていない今、やるべきことだろう。

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