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"怪童"中西、あと一歩で届かなかった三冠王
スポーツライター 浜田昭八

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2010/8/15 7:00
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「本当なんだ。ジャンプした三塁手のグラブをかすめたライナーが、そのまま左翼スタンドへ飛び込んだ」と、南海のエースだった杉浦忠は真顔で話した。対戦した中で最強打者はだれ、と尋ねたときである。

打球の速さはケタはずれ

その人の名は中西太。高校時代から"怪童"と騒がれ、西鉄入り後も怪物ぶりを発揮した。スイングのすごさと打球の速さはケタはずれ。ゴロが速く転がる人工芝でプレーしたなら、打率は2、3分ほど上がっただろうと、杉浦は回想した。

1952年、高卒選手がいきなり三塁の定位置に座り、打率2割8分1厘、12ホーマー、65打点で新人王に選ばれた。翌53年は36ホーマー、86打点で2冠王。打率も2位の3割1分4厘をマーク、2年目のジンクスを吹っ飛ばした。

ズングリ姿で人気者

同年8月、平和台球場の大映戦で放った推定160メートルの1発は、日本最長飛距離の本塁打と語り継がれている。怪力だがミートがうまく、足も速い。ユーモラスなズングリ姿で、たちまち人気者になった。

3年目以降も順調に打ち続け、怪童は球界を代表する打者になった。本塁打、打点の2冠獲得は53年のほかに56年。55、58年には首位打者と本塁打の2冠王だった。打率2位の53年と56年は、3冠王になるチャンスだった。

とりわけ56年が惜しかった。最終戦を残して中西は打率3割2分4厘7毛。同僚の豊田泰光は、4毛上回る3割2分5厘1毛。最終戦で中西が逆転し、3冠王に輝く可能性は十分にあった。

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