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野村克也 「捕手・4番・監督」一人3役こなした元祖鉄人
スポーツライター 浜田昭八

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2010/6/13 7:00
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元広島・衣笠祥雄、阪神・金本知憲ら、球界に「鉄人」は多い。だが、この人こそ「元祖鉄人」と呼ぶにふさわしい。独特のボヤキ節で人気を博している、野村克也前楽天監督である。

さん然と輝く3017試合出場

捕手だった現役時代の"労働量"が、それを証明する。今も日本プロ野球最多記録として残る3017試合出場。2位は王貞治(元巨人)の2831試合だから、日本プロ野球界で3000試合出場を果たした唯一の人物なのだ。

試合出場のランキング上位者には、外野手や一塁手が多い。それだけに、重い防具をつけてしゃがんでプレー、クロスプレーでケガも多い捕手が作った3017試合の日本記録はさん然と輝く。現役捕手では中日・谷繁元信(39)が野村を追っているが、まだ2500試合に届かず、抜くには4、5年はかかる。

労働の"質"も飛び切り優れていた。南海時代は守りの要だっただけでなく、4番打者で奮闘した。1965年には打率3割2分、42ホーマー、110打点で2リーグ分立後、初の3冠王。この年を含めて8年連続本塁打王、6年連続打点王にもなった。

入団当初は「壁」程度の認識

さらに、70年から8年間、監督を兼任した。捕手、4番打者、監督の一人3役を続けた肉体的、精神的たくましさは類を見ない。しかもこの間、ケガで83試合出場にとどまった74年以外は、毎年100試合以上に出場した。

「テスト生上がり」という経歴が、この鉄人の出世を際立たせた。54年に京都・峰山高から南海のテストを受けて入団した。球団は「壁」と呼ぶブルペン捕手を採用した程度の認識だった。

1年目に大差がついた9試合に出場したが、11打数ノーヒットに終わった。そのオフには解雇を宣告された。だが、母子家庭で育ち、背水の陣でプロ入りしたので、1年でおめおめと帰郷できない。球団に泣きついてチームにとどまった。

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