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野茂英雄 日米の垣根低くした「トルネード」の挑戦
スポーツライター 浜田昭八

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2010/5/16 7:00
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華やかな帰国会見になるはずが、気まずい雰囲気になった。1995年10月、米大リーグ挑戦1年目を終えた野茂英雄は、押し寄せた大報道陣に向かって「ゆっくり休みたい。追っかけ回さないで」と、冷たく対応した。

日本で4年連続最多勝と奪三振王

「どうせ、しっぽを巻いて帰ってくる」と、渡米前、多くの球界関係者は予想した。ところが、大成功を収めて帰国すると、手のひらを返したようにヒーロー扱い。野茂は人間不信に陥っていた。

近鉄では5年投げた。1年目の90年は最多勝、勝率、防御率の投手3冠をとり、新人王、MVPに選ばれた。この年を含めて4年連続で最多勝と奪三振王。

三振のスコア表記がKなので「ドクターK」と呼ばれた。クルリと打者に背中を見せてから投げる「トルネード投法」。速球とフォークボールだけで三振の山を築いた。

野茂はまた、「ドクターB」でもあった。Bは四球。シーズン148四球のパ最多、5連続四球の日本最多タイ、ゲーム16四球の日本記録も残した。その一方で、「平成の名勝負」西武・清原和博との対決では頑固なまでに速球勝負を挑み、何度も痛い目にあった。

しっぽを巻くどころか…

94年、野茂は右肩を痛めて8勝に終わった。複数年契約を求めた契約更改交渉はもつれ、話は渡米へと飛躍した。「どうせ、しっぽを巻いて…」の急先鋒、近鉄の球団社長は野茂の任意引退、大リーグ挑戦を認めた。

日本へ戻るなら近鉄に保有権がある。球団は事態を甘く見たが、野茂は日本で再び投げない決意を固めていた。しっぽを巻くどころか、ドジャース入りして1年目の95年に13勝。ド軍のナ・リーグ西地区優勝に貢献して新人王に選ばれた。

縛りの多い日本球界と比べ、米国では選手の意志を尊重する。それが野茂の感性とマッチした。2年目の96年にはロッキーズ戦でのノーヒットノーランも含めて16勝、97年は14勝。この活躍に触発され、日本選手が続々と米国へ向かった。

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