起業も「身の丈」 「社会に必要」地道に追求
低温世代の経済学(4)

「僕たちのファンドはもうけるものではありません。世の中に必要な事業に対する投資なんです」。猪尾愛隆さん(31)は3日夜、東京・日本橋のビルにある一室で個人投資家を前に力を込めた。
相手の顔が見える投資
彼はファンド運営会社のミュージックセキュリティーズ(MS)で証券化事業を担当する。あい染めジーンズの製造や森林事業など、地域に密着した産業にお金を出す会社だ。「銀行は小規模な長期投資ができない」。説明を聞いた男性(29)は「金融危機をきっかけに、相手の顔が見える投資をしたいと思った」と興味を示す。

バブル紳士やヒルズ族など短期間に大金を得る若手起業家が脚光を浴びた時代は去った。過熱する経済を肌で感じたことがない20~30代の低温世代の起業家は規模よりも中身を大切にする。MS社長の小松真実さん(33)は「過剰な利益は追求しない。身の丈で投資することにこだわってきた」。投資先は地場産業や音楽、酒蔵など独自の視点で決める。
7月に起業した矢野莉恵さん(27)は炎天下の東京を駆け回る。設立したのは日本のアーティストが描く作品をTシャツにしてインターネットで世界中に売る「ストリートキャンバス」という会社。昼は営業、夜はイスラエルの仲間とミーティングという毎日だ。
光本勇介さん(28)は4月に自動車を共同利用するカーシェアリングあっせんサイトを立ち上げた。「車を持たない人へのサービスを手がけたい」との思いから自動車を貸したい人と借りたい人がウェブ上で出会う仕組みを構築。3カ月で2000人の会員を集めた。
「ヒルズ族」は目指さず
働き方にも変化が表れている。クルージングやスパを体験できるギフトを販売する「ソウエクスペリエンス」を起業した西村琢さん(28)は「従来の起業家に比べ、僕らは"ゆるい"んじゃないかな」と話す。
職場に泊まったことはない。夜8時には帰宅。学生時代から起業家を志した西村さんだが「六本木ヒルズを目指そうとは思わない」。渋谷の古い雑居ビルに自分たちでペンキを塗ったオフィスには社員の笑い声が絶えない。「それで利益を上げるのがカッコいい」
低温世代の起業家たちは強引な事業拡大を好まない。ネットでアニメ画像を共有するサイト「ピクシブ」を運営する片桐孝憲さん(27)も「外からいろいろ言われるのは嫌。ベンチャーキャピタル(VC)の投資話は全部断ってきた」。
「彼らに真のアントレプレナーシップ(起業家精神)を感じる」。こう期待するのはベンチャー企業の支援を続けてきたドリームインキュベータの堀紘一さん(64)だ。「バブルに浮かれていない分、事業に取り組む目的意識が高い」
派手さはない。それでも彼らのような起業家が低成長時代の日本経済に新風を吹き込む。
仕事に対する意識は日本と他の主要国で大きく違う。内閣府の「世界青年意識調査」(2009年3月公表)によると、仕事を選ぶ際に重要視することについて、欧米や韓国は「収入」が断然トップ。これに対し、日本は「仕事の内容」との回答の方が多かった。他国では「収入」を意識する若者が多いのに対し、日本の若者は「働きがい」を大切にしている実態が鮮明になった。
[日本経済新聞朝刊2009年8月25日付]