平城宮に孝謙帝らの住居か 奈良期、東院地区で建物跡
奈良時代に天皇らの離宮があったとされる平城宮跡東院地区(奈良市)で掘っ立て柱の大型建物跡が見つかり、発掘調査した奈良文化財研究所(奈文研)が30日、発表した。瓦片や土器などから奈文研は奈良時代の749~770年の建物と判断。孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇が再即位)の在位時期に当たる。東西9柱間(約27メートル)、南北4柱間(約12メートル)と大型で、東院地区の中軸線上にあることから天皇が住んだ宮殿の中心的な建物とみられる。

平城宮内の建物としては、天皇が居住していたとされる内裏や西宮の正殿(中心建物)に匹敵する大きさだった。東院北側で中心的な建物が見つかるのは初めて。
東院地区は、平城宮跡の東に張り出した部分のうち、南側の東西約250メートル、南北約350メートルのエリア。文献から天皇や皇太子の宮殿があったとみられている。
孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘。749年に即位し、752年に東大寺大仏の開眼供養を営んだ。文献によると、東院で役人らを集め宴会や儀式、法要を開いたとの記述もある。僧・道鏡を重用したことでも知られる。
今回、東院地区の北側区域を調査し、掘っ立て柱建物跡が見つかった。
出土した瓦が少なく、屋根は檜皮(ひわだ)ぶきとみられることや、板張りの高床と推定できることなどから役所や倉庫ではなく、天皇が日常生活を送った建物とみられる。奈文研は建物の復元案も示した。
奈良大の渡辺晃宏教授(日本古代史)は「天皇が東院地区に入った際、寝起きなどした建物の可能性がある」と話す。
現地説明会は実施しない。動画投稿サイト「YouTube」の「なぶんけんチャンネル」で調査成果を動画で公開している。〔共同〕