松下電器産業元社長の中村邦夫氏が死去
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松下電器産業(現パナソニックホールディングス)で2000年から06年まで社長を務めた中村邦夫(なかむら・くにお)氏が11月28日午前8時20分、肺炎のため大阪府守口市内の病院で死去した。83歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は長男、哲士さん。連絡先はパナソニックホールディングス秘書室保信課。お別れの会を行うが、日取りなどは未定。
00年に松下電器産業の6代目の社長に就いた。「破壊と創造」を旗印に家電流通や研究開発体制、製造現場を見直し、人員削減など雇用にも手を着け伝統の経営構造にメスを入れた。02年に松下通信工業など主要子会社5社を取り込み、商品別の事業部制を再編して事業の重複をなくし、経営の仕組みを根本的に変えた。
1939年に滋賀県で生まれ、62年に大阪大学経済学部卒業後、松下電器に入社した。米国と英国の海外法人社長や取締役就任後に米州本部長を務めるなど海外畑が長く、97年の社内分社制導入後は中核分社のAVC社社長に就任。グローバル化とデジタル革命が同時進行した激動期の最前線を歩んだ。
60歳で社長に就くまで一度も大阪府門真市の本社勤務がない傍流だった。「松下幸之助創業者の経営理念以外、聖域はない」と強調。IT(情報技術)革命の進展で産業構造や生活習慣が様変わりするなか、デジタル家電への経営資源集中やITを駆使した生産・物流システム改革などを加速させた。
06年に会長に退いた後は経団連副会長など財界活動に注力した。