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広島の聖火、走らず点火 平和公園で「トーチキス」

(更新)
聖火の点火式で「トーチキス」する坂井孝之さん(左)(17日午後、広島市の平和記念公園)=共同

東京五輪の聖火リレーは17日、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発令された広島県で2日間の日程で始まった。初日は広島市の平和記念公園で、無観客の中で、走らずに聖火を受け渡すだけの「トーチキス」を実施。広島県全域で公道での走行は中止となった。

前回1964年の東京五輪で最終ランナーを務めた故坂井義則さんの弟、孝之さん(74)らが参加。作家の湊かなえさん(48)ら複数のランナーが参加を辞退した。被爆者で104歳の冨久正二さんも感染防止のため断念した。〔共同〕

平和と復興の願い、炎に込める


1964年東京五輪の聖火リレーで最終走者を務めた坂井義則さんは、2度目の東京開催が決まった翌年に亡くなった。弟の孝之さん(74)=広島市=は17日、同市の平和記念公園で点火セレモニーに参加。祭典を待ち望んでいた兄の思いと、豪雨災害に遭った地元の復興への願いを炎に込めた。
義則さんは45年8月6日、広島への原爆投下から約3時間後、数十キロ離れた今の広島県三次市で生まれた。軍隊にいた父は誕生を見届け、翌7日に広島市に入り被爆。戦後生まれの孝之さんは被爆2世に当たる。
1964年東京五輪の聖火リレーに向けて練習する、自身の写真を手にする坂井孝之さん。左端に兄義則さんが写る(広島市)=共同
陸上の短距離選手として頭角を現した義則さんは、早稲田大に進学。64年大会を目指したが選考会で敗れた。帰省していた実家に届いた「大役」の知らせ。「五輪に落ちたショックが強くて兄はピンときていなかった」と孝之さんは振り返る。
10月10日の国立競技場での開会式。聖火台への階段そばで、孝之さんは「転ばないように」と願いながら兄を見守った。上りきって手を挙げた義則さんがにこっと笑ったのを覚えている。海外メディアは「アトミックボーイ(原爆の子)」と呼んだ。
2年後のアジア大会に出場したものの五輪出場はかなわず、テレビ局に就職した。現地取材した72年ミュンヘン五輪では、ゲリラに襲撃されたイスラエル選手団の11人が殺害される事件が発生。帰国後、居酒屋で義則さんは父と弟に「五輪に銃は要らない」と語った。
2013年、今回の東京大会が決まった。「孫と一緒に行きたい」と口にしていた義則さんだったが14年、脳出血のため69歳で亡くなった。孝之さんは「兄の代わりに五輪に関わりたい」とランナーに応募した。
生前の兄は聖火について多くを語らなかったが、孝之さんは「世界平和と戦後の復興を願って走ったんだろう」と推し量る。広島では、14年に広島土砂災害、18年に西日本豪雨が起き、多くの人々が亡くなった。「リレーの形式は変わったが、世界平和と災害復興を願い、兄と一緒に聖火をつないだ。兄はご苦労さんと言ってくれるだろう」〔共同〕

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