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日本が強い半導体材料、原点は繊維の染料 関西に集積

とことん調査隊

日本が強みを持つ半導体材料には、実は関西の中堅・中小化学メーカーが多く関わっている。そのルーツは19世紀後半に関西で発展した繊維産業にさかのぼる。歴史をたどると、繊維産業の衰退や公害問題に翻弄されながら、時代の変化に対応して生き抜く企業の姿が浮かんできた。

半導体の加工に使う「感光材」の原料で世界シェア7割の大阪有機化学工業、和歌山県発祥で感光材原料を手掛ける本州化学工業、受託生産老舗の三宝化学研究所(堺市)など――。半導体産業の川上には存在感のある関西企業が目立つ。中堅・中小メーカーが他社がまねしにくい高機能品を少量多品種でつくっている。

「もともとは大阪府や和歌山県の河川に繊維の染料工場が集まったのが始まり」。三宝化学総務部の大鹿達生部長から意外な話を聞いた。

18世紀初めに大阪の中部を東西に横切る大和川の治水工事で開墾した土地は砂混じりで稲作に向かず、綿花の栽培が発展した。1882年には渋沢栄一らが主導し、大阪紡績(現東洋紡)を大阪市に設立。大阪は英国の紡績産業の中心地になぞらえ「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。染料をつくるには大量の水が必要で、大和川や和歌山市中心部を流れる和歌川に染料メーカーが集まった。

三宝化学も1950年、学生服を染める黒色染料のメーカーとして創業した。戦後の需要急増とともに成長したが、80年代ごろには医薬品原料など多角化も進めた。繊維は70年代から中国との価格競争に敗れ、成長が見込めなくなっていた。

ところが医薬品の原料も期待外れ。製薬大手が生産拠点をインドに移すようになり、「新薬開発の需要がなくなり、おいしい仕事がなくなった」(捫垣和美社長)。70~80年代の公害問題も追い打ちをかけた。廃水を河川に捨てたため「川下は染料で真っ赤にそまった」(大鹿氏)という。国や自治体の環境規制も厳しくなり、染料各社は事業の転換を迫られた。

三宝化学が目を付けたのが感光材の原料だ。80年ごろに当時の役員が大手感光材メーカーと学会で知り合ったのがきっかけだ。半導体向けは売上高では全体の1~2割程度にとどまったが、開発人員は半分以上を振り向けた。捫垣社長は「早く次世代の稼ぎ頭を立ち上げたいとの思いがあったのだろう」と話す。

繊維と半導体。一見かけ離れた業界だが、染料と感光材の原料は分子構造が近い。染料の「ジアゾ系」と呼ばれる化合物は光に反応する性質があり、光を使って半導体を加工する感光材と似ている。印刷用の感光材は60年代から手掛けており、製造ノウハウもあった。

今でこそ感光材原料に強い大阪有機化学は50年代から合成繊維材料の受託生産を始めた。繊維の衰退で独自製品へのシフトを進め、2010年ごろから半導体の需要増で事業が拡大した。半導体材料大手の住友化学のルーツの一つも大阪市で1910年代に生産を始めた日本染料製造だ。

現在の半導体材料は高性能化が進み、メーカーごとのオーダーメードが主流になっている。品質条件が厳しく管理にコストがかかり、少量生産では収益を上げにくい。台湾積体電路製造(TSMC)や韓国サムスン電子、米インテルなどの要望に「応えられたのは日本の中小メーカーだけだった」(三宝化学の捫垣社長)。日本勢は半導体そのものでは海外に敗れたが、材料では競争力を維持している。

「常に新しいものをつくっていかなあかんねや」。大阪有機化学の創業者の故鎮目達雄氏はよく語っていたという。短期的な売り上げ主義ではなく、顧客がその時にほしいものを苦労してでも作り続ける。日本の中小企業の精神が、今日の半導体産業を支えている。(佐藤遼太郎)

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