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トルコ、語り継ぐ「共助」 被災支援の邦人犠牲10年

2011年のトルコ東部ワン大地震の被災地支援に駆け付けたNPO法人職員、宮崎淳さん(当時41)が活動中に死亡してから10年。トルコでは「英雄」と呼ばれ、各地に「ミヤザキ公園」が設けられ追悼されている。災害支援や介護体験を経て「共助」の大切さを訴えていた宮崎さん。テロや新型コロナウイルス禍で国際協力に逆風が吹く中、関係者が遺志を語り継ぐ。

「地震で皆が逃げ出したのに、遠い日本から手を差し伸べに来てくれた」。10月下旬に全面完成したワンのミヤザキ森林公園。子連れの20代の女性は宮崎さんの胸像の前で話した。

ワンでは11年10月と11月に大きな地震があり、600人以上が死亡。宮崎さんはNPO法人「難民を助ける会」職員として現地入りしたが、2回目の11月9日の地震で宿泊先のホテルが崩壊、死亡した。

その死はトルコ社会に衝撃を与え、イスタンブールなど各地に名を冠した公園や学校が造られた。「絶対に忘れない」。人々は10年前の言葉を守っている。

母の恵子さん(78)=大分市=によると、宮崎さんは英国の大学院で紛争解決学を学んだが、病気で倒れた父のため帰郷。役所の臨時職で働きながら夜通しの介護に当たった。父が死去して数カ月後の09年6月ごろ、「お母さん。そろそろ行っていいか」と声を掛け故郷を離れた。「優しい子でした」と恵子さんは語る。

福岡県のNPOを経て11年8月から難民を助ける会で勤務。同3月には東日本大震災が発生していた。宮崎さんは採用時、トルコなどの救援隊訪日に感銘を受け「いかに世界が共助で成り立っているかあらためて実感した」と述べた。その後、東北の被災地支援にも当たっていたという。

同会会長の長有紀枝・立教大教授は「介護経験が生きていたのか、チームの中で信頼されていた」と振り返る。生きていれば、混乱が続くシリアやアフガニスタンなどの支援活動で活躍していたはずだと惜しんだ。

今、国際協力は逆風にさらされている。過激派テロの増加で非政府組織の活動は制限された。日本からの国連平和維持活動(PKO)の派遣は今年9月時点で4人。国際協力機構(JICA)によると、海外協力隊の派遣規模も10月時点でコロナ禍前と比べて15分の1ほどだ。「日本は資源や食料を世界に頼る。助け合わなければいけない」と長教授は訴える。

亡くなった宮崎さんは日本の支援の象徴になった。長教授は「自分の家族と同じように世界に目を向けた。その心がトルコに伝わったのではないか」と話した。(ワン、イスタンブール=共同)

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