/

樺太の記憶を映像で後世に 引き揚げ75年、学生が奮闘

太平洋戦争の終戦時、約40万人の邦人が居住していた南樺太(現ロシア・サハリン南部)からの集団引き揚げは1946年12月に始まり、5日で75年が過ぎた。樺太の歴史伝承を続けてきた「全国樺太連盟」が3月に解散し、記憶の風化への懸念が強まる中、北海道稚内市の大学生が引き揚げ者の証言や手記などを基に映像を制作し、後世に残そうと奮闘している。

「私の苦しみは終戦の翌日から始まった」。稚内北星学園大の学生が作った約30分の映像作品「あの日、ニレの木の下で」は樺太の恵須取町(現ウグレゴルスク)の病院で副婦長を務めた故鳴海寿美さんの人生をたどったドキュメンタリー。映像は鳴海さんの手記につづられた言葉で始まる。

1945年8月9日、旧ソ連軍は南樺太に侵攻。逃げ遅れた23人の看護師は、ニレの木の下で手首をメスで切るなどして集団自決を図り6人が死亡した。生存者の一人だった鳴海さんは47年に北海道に引き揚げ、新冠町で傷を隠しながら助産師として働いた。

稚内北星学園大は2014年から樺太の歴史を後世に伝える取り組みを続けてきた。指導する情報メディア学部、牧野竜二非常勤講師によると、死と隣り合わせの経験をした引き揚げ者は口を閉ざすことも多く、若者がその苦難を知る機会は少ない。

そのため学生は歴史を学ぶところから始め、当事者の証言を収録したりして映像を制作。ただ近年は引き揚げ者の高齢化や新型コロナウイルスの感染拡大もあり、当事者に直接話を聞くことが難しくなっているという。

「あの日、ニレの木の下で」は今年5月に完成。同大の取り組みや完成度の高さが評価され、道内の映像コンテストの学生部門で最優秀賞を獲得。本年度も終戦後の樺太で日本人とソ連人が暮らしていたことを題材にした作品制作に挑戦中だ。

受賞作の制作メンバーで3年の緑川大海さん(20)は「自決を選ぶという精神が現代とはかけ離れすぎていて、衝撃だった」と振り返り「悲惨な出来事があったのに、樺太のことはあまり知られていない。映像を通し、これからの世代が考えるきっかけになれば」と思いを込めた。〔共同〕

樺太からの引き揚げ 太平洋戦争の終戦後、旧ソ連軍が占拠した南樺太(現ロシア・サハリン南部)に取り残された日本人が1946年12月~49年7月、北海道函館市に船で渡った引き揚げ事業。5次まであり、引き揚げ者は約30万人に上った。樺太は日露戦争を終結させた05年のポーツマス条約により北緯50度以南が帝政ロシアから日本に譲与され、45年のソ連軍侵攻までの約40年間、日本の統治下にあった。最盛期には約40万人の日本人が住み、漁業や製紙業、炭鉱業が盛んだった。〔共同〕

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

新型コロナ

新型コロナウイルスの関連ニュースをこちらでまとめてお読みいただけます。

ワクチン・治療薬 国内 海外 感染状況 論文・調査 Nikkei Asia

関連トピック

トピックをフォローすると、新着情報のチェックやまとめ読みがしやすくなります。

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン