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明治初期の京都に水力発電所 幕末以降の衰退に歯止め

とことん調査隊

「京都市内には国内初の水力発電所があるよ」。京都に今春赴任した記者は、再生可能エネルギーに携わる取材先からそんな話を聞いた。水力発電といえば、黒部ダムのように山奥にあるイメージだった。調べてみると、美術館や動物園のある岡崎地区にその発電所があり、今も現役だという。古都になぜ発電所ができたのか。

早速、「蹴上(けあげ)発電所」を訪ねた。大文字山などを背景に、赤色のレンガ造りの古びた建物が見える。その脇には大人が入れそうな太さの茶色い配管が山側から続いていた。

管理を担う関西電力に尋ねると、この配管を発電のための水が流れているという。発電所は4500㌔㍗の出力があり、約4500世帯分の需要を賄う。「水源となる琵琶湖との高低差を利用しています」と京都水力センターの窪優・保全主任は教えてくれた。

1912年に竣工した水力発電所用の建屋。現在は使われていない

京都の人口は1864年の禁門の変、69年の東京奠都(てんと)により大きく減少した。この幕末から明治初期の衰退を打開する策が琵琶湖の水を利用する「琵琶湖疏水(そすい)」による産業振興だった。

3代目の京都府知事に就任した北垣国道が開発を計画した。土木技術者に選んだのは工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎だった。今では考えられない人事だが、行動力のある若者の起用が成功に導いた。

当初は発電所の建設予定はなく、水車動力や舟運、灌漑(かんがい)、飲料水の確保などが主目的だった。ところが、88年に米国で水力発電所が開業した話が伝わると、導入を検討するために田辺は米国を3カ月かけて視察した。

米国西部のコロラド州アスペンの鉱山には、150馬力(約110㌔㍗)の水力発電所があった。田辺は「極めて小規模なものではあったが、世界での水力電気の嚆矢(こうし)である。(中略)我が琵琶湖疏水でもこれを適用し得るや否やということが一の新しい研究題目となるに至った」(田辺朔郎博士六十年史)と感想を残している。

田辺は帰国後に発電所の建設を北垣に提言し、採用された。琵琶湖の取水口から当初3つのトンネルを経由する水路は長さ約8㌔㍍に対し、高低差が約4㍍しかない。これにより発電所では36㍍の落差を確保した。この位置エネルギーを生かし、発電機2台による出力160㌔㍗規模の運転を91年に始め、92年に事業の認可を取得した。

国内初の営業用の水力発電となった。水力発電所としては88年に仙台市にできていたといい、取材先から聞いていた情報は少し違っていたようだ。とはいえ、日本初の営業用電車となった京都電気鉄道のほか、時計工場や紡績工場に電気を供給した。現在も好調な京都製造業の誕生ともつながるのではないだろうか。

関西電力によると、蹴上発電所はその後、3度工事を行った。冒頭の赤レンガの建物は1912年に竣工した第2期工事のものだという。

今も現役の発電所は36年の第3期工事に形づくられた。記者が訪問した9月上旬、この発電所は動いていなかった。「8月の大雨で水路に土砂がたまり、取り除く作業をしている」と琵琶湖疏水を管理する京都市上下水道局の寺田洋さんは話す。例年1~3月に、発電所などを止めて水路の土砂を取り除くという。

1890年ごろまで一連の琵琶湖疏水事業費は125万円に上った。これは当時の京都府の年間総予算の約2倍の規模という。「水力発電のみで回収できる費用ではない」と関西電力の窪さんは話す。

ただ、産業発展や岡崎地区の観光地化の礎になったことを考えると、京都の復興に果たした役割は大きい。脱炭素を目指す現在の潮流からも、クリーンな電力として重要さを増している。

(大平祐嗣)

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