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核兵器の現実、米国で問う テキサス大で原爆写真展

米南部テキサス州の大学で広島、長崎の原爆被害を伝える写真展が開かれている。スミソニアン航空宇宙博物館(首都ワシントン)で第2次世界大戦終結50年に合わせ企画された原爆展が退役軍人団体の激しい反発に遭い、事実上の中止に追い込まれてから四半世紀。当時の激しい論争とは無縁の静かな空間で、数々の写真は核兵器の非人道性、暴力性を見る者に鋭く訴え掛けている。

「閃光(せんこう)、炎の壁」と題された写真展はテキサス大オースティン校が、原爆の悲惨な被害を後世に伝えようと日本の写真家らが始めた「反核・写真運動」と協力して実現した。69点の写真は大半が米国初公開で、一瞬にして焦土と化した「きのこ雲の下」の惨状が克明に映し出されている。

爆心地近くの小学校の校庭に遺骨が並ぶ様子を収めた写真もある。南部ルイジアナ州の大学で歴史などを学ぶティファニー・トーマスさん(50)は「涙せずにいられなかった。非常に心を揺さぶられる内容。多くの人が見なければいけない」と声を詰まらせた。

1995年1月、原爆投下機「エノラ・ゲイ」展の開幕を数カ月後に控えていたスミソニアン博物館は、被爆した人々の惨状や遺品を展示する当初の計画を断念した。日本に過度に同情的で米軍を侮辱しているとの退役軍人団体の強い批判に屈した形で、一連の「スミソニアン論争」は米国で原爆被害に光を当てることの難しさを国内外に強く印象付けた。

写真展の実現に当たり、同校ブリスコー米国史センターのドン・カールトン館長(74)も「正直、不安はあった」と打ち明ける。議論を経て開催を決断したのは、核戦争とは何かを若い世代に知ってもらう必要があると考えたためだ。

「95年にこの展示をしていたら多くの問題に直面しただろう。だが時は移ろい、当時の世代は(多くが)鬼籍に入った」とカールトン館長。太平洋の死線を越え生き延びた元兵士らが抱き、広く共有された強い忌避感は薄れ、原爆被害を扱うことはかつてほど難しくはなくなった。その半面、若者が戦争の残酷な実相に触れる機会も減った。

原爆投下は正しい決断だったとする見方は依然根強く、カールトン館長はその是非を議論する意図はないとも説明する。しかしプロジェクトチームの一人、同校博士課程のベン・ライトさん(39)は、核爆弾の使用がこの先「必要な決断」とはなり得ないことを広島、長崎の写真は示していると指摘。「同じことが再び起きてはいけない。その点に論争はない」と強調した。(オースティン=共同)

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