祝意抑えた陛下の開会宣言 国民の空気感、組織委配慮

23日の東京五輪開会式で天皇陛下が述べられた開会宣言は、新型コロナウイルス下での開催という異例の事態を背景に、1964年の東京大会を踏襲せず祝意のトーンが抑えられた。
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五輪憲章(英文)で規定された開会宣言にある「celebrating」という言葉について、昭和天皇が宣言した前回大会では「祝う」という訳語が当てられた。今回は「記念する」に置き換えられた。
英文での国際的発信という観点では同じだが、日本語でのニュアンスは祭典色が控えめになった。
宮内庁関係者によると「祝賀ムードからはほど遠く、象徴天皇である陛下が『祝意』を表明することには庁内でも懸念があった」という。開会宣言は、大会組織委員会と宮内庁がこうした状況も踏まえて検討した結果といえる。
五輪開催を巡っては、宮内庁の西村泰彦長官が6月に「国民の間に不安がある中で、開催が感染拡大につながらないか(陛下が)懸念されていると拝察」と発言。天皇の政治的権能を否定した憲法との兼ね合いも取り沙汰された。
今回の開会宣言について側近の一人は「陛下はあくまで名誉総裁として用意された文言のまま宣言されただけ。むしろ組織委が国民に漂う空気感を忖度(そんたく)したのではないか」と話した。
前例踏襲しなかった理由、丁寧な説明を
舛本直文・東京都立大客員教授(オリンピック研究)の話 宣言文の「celebrating」の対象は「近代オリンピアード」で、夏季大会の開催年から始まる4年間を指す。大会の開催自体を「祝う」のではなく、既に始まっている一連の五輪ムーブメントを「celebrate」するという意味がある。
今まで憲章の規定通りに宣言しなかったのは、2002年のソルトレークシティー冬季五輪でのブッシュ米大統領(当時)で、当時は五輪に政治を持ち込んだとして批判も多くあがった。
今回は開会宣言の日本語訳を変えただけだとしても、大会組織委員会は何故、前例を踏襲せず変える必要があったかを丁寧に説明する必要がある。
「拝察」発言とセットで読み取れる
河西秀哉・名古屋大准教授(日本近現代史)の話 異例ずくめの五輪だけに、開会宣言が前例をあえて踏襲しないことは、十分に予想されたことだ。結果的に、英文の日本語訳を修正することで、中庸とも受け取れるギリギリを狙ってきた感じだ。
宣言は天皇自身が発する「お言葉」でもあり、原案を作成した事務方としては、陛下が五輪開催を巡る賛否どちらかの立場にくみしたと解釈されないように慎重に検討した結果といえるだろう。
一方で、開会宣言に物足りなさを感じた国民もいたかもしれない。そこで注目されるのが、6月の宮内庁長官による「拝察」発言だ。今回の宣言とセットで考えると、政治的発言を憲法上許されていない陛下の開会式に対する複雑な思いを改めて読み取ることができる。