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沖縄復帰50年、県民ら「未来考える」「複雑な気持ち」

(更新)

沖縄県は15日、本土復帰から50年を迎えた。太平洋戦争の激しい地上戦を経て米軍統治下となり、苦難の道を歩んできた沖縄。県内各地では、よりよい未来への節目にしたいと願う人々の姿がみられた。

糸満市の平和の礎

県南部に位置する糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園。沖縄戦の犠牲者ら20万人以上の名前が刻まれる「平和の礎(いしじ)」には、降り続く雨のなか平和を祈る人が訪れた。

「米軍基地が沖縄に偏っている以上、今も復帰を手放しに喜ぶことはできない」。公園で働く豊見城市の男性(54)は心境を語った。50年間、沖縄から基地負担軽減を求める声を上げても目に見えた変化がなく、不満は募るばかりだという。

北海道旭川市から妻と旅行に来た男性(48)は節目の年、ロシアによるウクライナ侵攻などの世界情勢に不安を感じ、平和を願いに訪れた。「米軍統治されていた沖縄のことを考えると人ごととは思えない。再び戦争が起こらないよう祈りたい」と話す。

宜野湾市の米軍普天間基地

1945年から宜野湾市中心部に位置する米軍普天間基地。復帰50年を迎えた朝は訓練機などの轟音(ごうおん)は聞こえず、雨音に包まれた。

同市に住む男性(60)は10歳の時に復帰を経験した。自身はよく分からなかったが、周囲の大人の様子を見て米軍統治下からの解放を感じ取ったという。基地は縮小した方がいいとしながらも「基地関連で仕事をしている人もいる。簡単になくなればいいとも言えない」と複雑な心境を明かした。

地元スーパーに子ども2人と買い物に訪れた主婦(41)は「50年を特別に意識することはない」。地元の小学校では米軍ヘリの部品落下事故が起こるなど、危険と隣り合わせだ。「沖縄に基地がある経緯を知れば簡単に返還できるわけではないとも思う。沖縄の未来について考えるためにも、子どもたちは歴史を知ってほしい」と話した。

那覇市の国際通り

那覇市のメインストリート、国際通り。午前に雨がやみ、観光客らが行き交う姿がみられた。

家族で旅行に訪れていた東京都の女性会社員(50)は15日が誕生日。沖縄では1972年生まれは「復帰っ子」と言われると知ったという。「土産物店の人に教えてもらい、沖縄の歴史について学ぶために資料館などを訪れた。観光地としての沖縄だけでなく、戦争や平和を考える場所としても重要だと思った」と話す。

土産物店を営む50代女性は「きっかけは何でもいい。沖縄がいろいろな歴史を経て豊かな自然環境や文化をたくましく育んできたということを知ってもらえれば」と笑顔を見せた。

50年前の式典会場・那覇市民会館

50年前に「新沖縄県発足式典」が開かれた那覇市民会館。当日は大雨で、隣の公園では1万人規模の集会が開かれ、米軍基地が残ったままの復帰に反対する声が上がった。

同会館は休館中で、15日、周囲は静かだった。孫を連れた那覇市の男性(79)は「何かが急激に変わることはない。とにかく平和な日々が続いてほしいと思うだけだった」と復帰当日の感情を振り返る。「50年たった今も、同じように複雑な気持ちを抱えている。次世代には日本全体でよりよい道を考えてほしい」と話した。

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