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「兵士の命は不平等」101歳証言、ミッドウェー海戦80年

太平洋戦争で日本敗戦への転換点とされるミッドウェー海戦から今年で80年。岩手県一関市の須藤文彦さん(101)は旧海軍整備兵として主力空母「赤城」に乗り組み、爆撃で炎上する中、脱出した。終戦から15日で77年となるのを前に「戦争で命は平等ではない。戦場で兵士の命は鳥の羽根ほど軽い」と語る。そう思い知ったあの日の光景が脳裏に焼き付く。

1942年1月、新婚の妻を残し、20歳で横須賀海兵団に入った。2千人超の中から赤城に乗艦する十数人に選抜された。「やった。エリートコースだ」と胸が高鳴った。5月27日の海軍記念日、瀬戸内海から北太平洋のミッドウェー島海域へ出港。全長約260メートルの赤城の上には零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が居並ぶ。「日本が負けるわけがない」と信じていた。

6月4日の深夜から翌日未明に甲板から国歌が聞こえ、戦闘準備に入った。夜明けごろ、日章旗の鉢巻きを締めた搭乗員がゼロ戦で薄暗い空へ次々と飛び立った。

ほどなく、敵機襲来を告げるラッパ音が鳴り響き、米爆撃機の攻撃を受けた。上空ではゼロ戦と敵機が交戦。「雷が続くようだった」。武装転換の命令が二転三転し、須藤さんら整備兵は混乱を極め、瞬く間に赤城は火の海と化した。

負傷者を尻目に幹部が別の艦に乗り移る姿が記憶に残る。上官は「着水したゼロ戦のパイロットを救え。ほかは死んでもいい」。その命令が胸を突いた。

魚雷への引火を避けるため、可燃物の回収へ。暗い艦内を数人一列で進む。3番目の乗組員が扉を開けた瞬間、爆発。「私は4番目。前の3人は吹き飛んだ」。顔にやけどを負った。

光の差す方へ向かうと、甲板に出られた。ぼろぼろの負傷兵たちに上官が航行不能となったと告げる。甲板から垂らされたロープで小型艦に次々と乗り移る。逃げるのも、階級順だった。

下級兵の須藤さんは上官に「勝手に来たら蹴飛ばす」と言われたが、ロープを使わずにかなりの高さから飛び降り、小型艦に乗り移った。

6日未明、甲板に向かうと目の前に燃えさかる赤城の姿があった。上官が「これより魚雷で沈没させる。敬礼」と号令し、赤城は黒い煙を上げながら沈んだ。

80年後の今年6月、赤城のプラモデルを手に当時の様子を証言した。「戦争には正義がある」と教えられていたという須藤さんは、自身の体験からその考えを否定し、ロシアのウクライナ侵攻を非難する。「殺し合いに意味はない。過ちを繰り返してはならない」と訴えた。〔共同〕

▼ミッドウェー海戦

ハワイの北西約2千キロにあるミッドウェー島の米飛行場攻略を目指した旧日本海軍は1942年6月、周辺海域で米軍に大敗した。3千人以上が戦死し、「赤城」「加賀」などの主力空母4隻、航空機約300機を失った。以降、太平洋戦争の主導権は米側に移り、転換点となったと言われる。2019年に米調査チームが水深5千メートル超に沈む赤城と加賀を見つけた。〔共同〕

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