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戦犯釈放尽力の画家に注目 加納莞蕾、教科書に掲載

島根県安来市出身の画家、加納莞蕾(本名・辰夫、1904~77年)に注目が徐々に集まっている。太平洋戦争後、フィリピンで収監された旧日本軍BC級戦犯の釈放に尽力し、その活動は中学の教科書に今年度から掲載。関係者は「莞蕾が生涯を通じて訴えた平和の尊さについて考えてほしい」と望む。

安来市の「加納美術館」によると、莞蕾は1938年、従軍画家として中国山西省に渡った。戦後、同郷の元海軍少将がフィリピンで死刑判決となったことを受け、嘆願活動を開始。49年以降、フィリピンの故キリノ元大統領に約40通、ローマ教皇らに200通以上の英語の書簡を送った。

「何度も一緒に東京のフィリピン代表部(大使館)に通った」。同美術館名誉館長で莞蕾の四女、佳世子さん(76)=同市=は4歳ごろの記憶が残る。家の収入の大半が活動に充てられ生活は苦しかった。「莞蕾は戦争への悔恨から活動を始めたのかもしれない」と話す。

キリノ元大統領は戦中、日本軍に妻と子ども3人を殺害された。莞蕾は書簡で「悲しみと怒りと憎しみの深さをはかることはできない」と元大統領に寄り添った。

53年、元大統領は日本兵105人の恩赦を発表した。帝国書院の2021年度の「中学生の歴史」はコラムで莞蕾を紹介。「大量の手紙を送り続け、釈放への道を開きました」と記し、「両国の友好を願う」キリノ元大統領が日本で莞蕾と握手する写真も載せた。

広島市立大広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)は、恩赦は国際情勢などが絡む「政治的決断」だったとした上で「莞蕾の活動は高まる嘆願運動の一つとして、間接的に影響した可能性がある」と指摘。「莞蕾は自国本位でなく相手側の経験や痛みに寄り添おうとした。相手への配慮や敬意は、国際社会に生きる私たちにも問われていることだ」と語る。

莞蕾はその後、故郷の布部村(現安来市)村長になり、世界児童憲章の制定などを訴えた。戦後76年の今も、フィリピンに住む元大統領の孫らと交流する佳世子さんは「自分を貫き対話を求めた莞蕾の姿勢が若い世代にも伝われば」と願った。〔共同〕

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