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東日本大震災12年、鎮魂祈る夜空の大輪 被災地点描

(更新)

激しい揺れと大津波が街を襲ったあの日から12年。懸命な努力により、東日本大震災の被災地は復興の道を歩んだ。それでも、大切な人を失った深い悲しみが癒えることはない。「元気でやっています」「見守っていてね」――。祈り、未来へ誓う日。被災地を見つめた。

午後7時@岩手県釜石市 夜空に大輪の花「大好きな街に貢献したい」

岩手県釜石市の根浜海岸では午後6時すぎ、漆黒の海にあんどんが浮かべられた。水面に「3・11」の文字が映り、海辺をオレンジ色の光で照らした。午後7時ごろに始まった追悼の打ち上げ花火を見守った同県大船渡市の理学療法士、中村邦人さん(34)は仲の良かった同級生のいとこを亡くした。市内の病院に勤める中村さんは「花火を見て、大好きな岩手の復興に仕事を通じて貢献したい気持ちが強くなった」と話した。

午後6時@福島県双葉町 追悼の花火打ち上がる

福島県双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館では、約200発の追悼花火が打ち上げられた。3階のデッキにはカメラを手にした多くの人が集まり、歓声をあげた。昨秋からJR双葉駅近くの災害公営住宅に住む山崎ノブ子さん(77)は震災後、初めて古里でこの日を迎えた。「不便さは残るが、古里に戻れてほっとしている」と夜空に輝く花火に顔をほころばせた。

午後5時45分@宮城県石巻市の大川小 「出来事を語り継ぐ」

津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校では、竹の灯籠に明かりをともし鎮魂を祈る「大川竹あかり」が開かれた。共同実行委員長の佐藤和隆さん(56)は三男の雄樹君(当時12)を亡くした。次の災害が迫っている恐れもある。「もしかしたら震災後ではなく、震災前なのかもしれない。出来事を語り継ぐことが大切だ」と話す。

午後5時40分@仙台市中心部 高校生「向き合い、思い直そう」

仙台市中心部の勾当台(こうとうだい)公園市民広場では、多くの人がろうそくの明かりに追悼と復興への思いを託した。高校生が中心となって約2千本のろうそくを用意。震災の経験をつないでいく思いを木と「願い」の文字で表現した。実行委員長の仙台青陵中等教育学校の菊地結衣さん(16)は式典の挨拶で「震災と向き合い、思い直そう。そして未来へとつないでいこう」と語りかけた。

午後5時半@福島市まちなか広場 亡き親友思い点灯

福島市中心部のまちなか広場では犠牲者を追悼し、復興を願うキャンドルナイトが始まり、点灯式に多くの人が集まった。ボランティアで参加した福島県立医科大学1年の佐藤凛太郎さん(19)は地元・同県南相馬市で同級生の親友を津波で失った。「上級生になったら野球部に一緒に入ろう」と約束していた。「当時は子どもだったが、これからは自分が震災の記憶を伝えられるようになりたい」と思う。

午後5時@宮城県山元町 竹灯籠点灯「迷わず戻ってこられるよう」

亡くなった人が迷わず戻ってこられますように――。宮城県山元町の地域住民の集いの場「みんなのとしょかん」で竹灯籠に火を灯(とも)す作業が始まった。住民の猪俣さち子さん(67)は顔なじみになった学生ボランティアたちに「災害はいつ起きるかわからないから気をつけてね」と声をかけた。「いつのまにか孫のような存在になった学生の存在がうれしい」

午後5時@岩手県大槌町 写真展、被害を克明に伝える

岩手県大槌町のショッピングセンター「シーサイドタウンマスト」では「慰霊のつどい写真展」が開催され、津波で甚大な被害が生じた震災直後の街の光景などが展示された。同町の女性(79)は自宅や所有アパートが津波で流された。当時は恐怖のあまり、津波に襲われる街を直視できなかった。「写真を見ると、言葉では伝わりにくいこともよくわかる」と話した。

午後3時前@岩手県大船渡市 「ふるさと」「花は咲く」合唱

岩手県の大船渡市防災観光交流センター「おおふなぽーと」で開かれた追悼セレモニーで、地元合唱団が「ふるさと」や「花は咲く」などを歌い上げた。30人ほどが集まり、涙を流す人も。同市の女性(61)は「発生時刻になると、高台にある中学校から見た津波や周囲の人の悲鳴、避難所生活が鮮明に思い出される」と声を震わせた。

午後2時46分@岩手県釜石市 孫かわいがった両親に「大きくなったよ」

1千人超が犠牲になった岩手県釜石市。鵜住居(うのすまい)地区にある追悼施設「釜石祈りのパーク」ではサイレンが鳴り響き、集まった約100人が約1分間の黙とうをささげた。

横浜市の50代の会社員男性は同地区に住む両親を亡くした。地区の防災センターに避難していたが、津波にのまれた。そこでは160人以上が犠牲になったとされる。当時1歳半だった長男を連れて帰省すると「かわいくて仕方がない」という様子であやしていた2人が忘れられない。「12年でこんなに大きくなったよ」。鎮魂を祈った。

午後2時46分@福島県浪江町大平山霊園 「悲しみ込み上げる」

海を見渡せる福島県浪江町の大平山霊園に立つ慰霊碑前では100人あまりが黙とう。同町の自営業、青田真紀子さん(60)は10人以上もの知り合いを亡くした。石碑に刻まれた名前を見ると「今でも胸が痛み、悲しみが込み上げる」。あの日と違って波は穏やか。「なんだか複雑な気持ちになり、胸が締め付けられる」と吐露した。

午後2時46分@宮城県岩沼市相野釜地区 「つらさは和らいだが・・・」

震災が発生した午後2時46分、宮城県岩沼市相野釜地区の復興祈念公園「千年希望の丘相野釜公園」では、集まった十数人が発生時刻を示す日時計や海に向かって黙とうした。祖父やいとこら親族3人を亡くした同市の斎ゆうかさん(23)は「時間がたち、つらさは和らいできたが津波の映像を直視できない」と心境を明かした。

午後2時46分@宮城県山元町 黙とう「家族や友人失う悲しみ共有」

震災関連死などを含めて亡くなった637人の氏名が刻まれた宮城県山元町の慰霊碑前では、町職員や地域住民とともに国際ボランティア学生協会(IVUSA)の学生ボランティアがサイレンに合わせて黙とうした。法政大学1年、柏田澄美花さん(19)は娘を亡くした夫妻から話を聴き「いることが当たり前の家族や友人を突然失う悲しみを共有した。身近な人がいることの尊さを伝えていきたい」と誓った。

午後2時40分@福島市 首相「復興再生に全力」

福島市の施設「パルセいいざか」では福島県主催の追悼復興祈念式が午後2時40分に開会した。岸田文雄首相が出席し、「福島の本格的な復興・再生に全力を尽くす」と述べ、祭壇に一礼した。

県内では4000人以上が命を落とし、東京電力福島第1原子力発電所事故によって最大約16万人が古里を追われた。帰還困難区域の避難指示解除は少しずつ進んでいる。

午後1時半@宮城県気仙沼市 防災のつどい「教訓を次の世代へ」

岩手県宮古市の高校教師、菅野智寛さん(30)は数年ぶりに地元・宮城県気仙沼市を訪れ、公民館で開かれた「追悼と防災のつどい」に参加した。震災当時は高校3年生だった。津波で変わり果てた地元の姿に「何かできないか」と、ボランティアにも参加した。夢だった教師となり、「次の世代へ教訓をつなげたい」と防災教育の授業を通じ自身の経験を生徒に伝えている。

午後1時 @JR富岡駅近く 慰霊碑を建立「胸に刻む」

東京電力福島第1原子力発電所事故で一時は全町避難を余儀なくされた福島県富岡町。この日、JR富岡駅近くで青空のもと、慰霊碑の除幕式が開かれた。碑は高さ約3メートル、幅約5メートルで「東日本大震災 慰霊之碑」と刻まれている。津波の犠牲者や災害関連死と認定された人らを弔うもので、町民らの要望を踏まえて建立した。坂本栄司・行政区長会副会長(68)は「震災の教訓を胸に刻む石碑になれば」と力を込めた。

正午@宮城県岩沼市 語り部の会が発足「教訓語り継ぐ」

宮城県岩沼市で市民ら8人でつくる「いわぬま震災語り部の会」が活動を始めた。語り部のひとり、高橋たづよさん(79)は「震災で多くの命が失われた。助かった人は教訓を語り継いでいかなければならない」と強調。同市の復興祈念公園「千年希望の丘相野釜公園」を訪れた人に、復興の歩みや津波への備えなどを紹介した。

正午@岩手県大船渡市 「花束で心の安らぐ瞬間を」

岩手県大船渡市にあるフラワーショップ「加茂ガーデン」の店長、志田英恵さん(32)は「きれいな花束で少しでも心安らぐ瞬間を提供したい」と話す。新型コロナウイルスによる行動制限が緩和され、献花用の花を買い求める人は県外からの帰省者が例年より多いという。

午前11時45分@宮城県南三陸町志津川地区 「日本中に感謝伝えたい」

宮城県南三陸町の震災伝承館「南三陸311メモリアル」は昨年10月のオープンから初めて3月11日を迎えた。同館を運営する南三陸町観光協会の及川吉則会長(56)は「教訓を伝えていくのは難しい。この建物が震災を思い出し、命を守ることを考えるきっかけになれば」と強調する。今年で十三回忌を迎えるにあたり、当時の支援者らも各地から顔を見せている。「交流拠点として日本中に感謝を伝えていきたい」

午前11時半@宮城県南三陸町 「あまりに辛く、今まで来られなかった」

「津波到達の直前まで防災無線で避難を呼びかけ、犠牲になった町職員を思うとあまりに辛く、これまで足を運べなかった」。宮城県美里町に住む元高校教諭の佐々木清敏さん(74)は涙ぐみながら話した。十三回忌を迎え、町職員らが犠牲になった旧防災対策庁舎を初めて訪れ花を手向けた。巨大地震が再びいつ起きるか分からない。「悲しい現実とも正面から向き合い、教訓を受け継ぐことが大事だ」と話す。

午前11時すぎ@岩手県山田町 映画「すずめの戸締まり」モチーフの扉

岩手県山田町は震災を描いた映画「すずめの戸締まり」でその風景が描かれた。「聖地」にファンを呼び込もうと、同町の観光協会は2月中旬、作中で描かれた扉をモチーフにした白い扉を山田湾展望広場に設置した。

同僚と訪れた同県釜石市の看護師、佐々木奈苗さん(30)は高校3年生のときに同県大槌町で被災。「映画の被災地の描写は自分の記憶と重なってつらくなることもあったが、懐かしい風景も描かれていた。映画をきっかけに多くの人に震災のことを知ってもらい、被災地を訪れてほしい」と話した。

午前11時@岩手県大船渡市 ジオラマ展示「街の活気思い出して」

岩手県の大船渡市防災観光交流センター「おおふなぽーと」では、震災前の市の様子を再現したジオラマが展示されていた。作成した菊池静さん(60)は「震災で駅はなくなり、商店街の町並みも大きく変わった」と話す。主に厚紙や廃材を使い、10年以上前から制作を続ける。「活気のあった大船渡を思い出してほしい」

午前11時@福島県いわき市久之浜地区 応援の黄色いハンカチ

福島県いわき市久之浜地区にある稲荷神社(秋葉神社併設)では午前11時に献花が始まった。同地区では津波で多くの家屋が流されたが、神社は奇跡的に残った。千葉県市原市の「こころ舞踊団」に所属する10代の子どもたち6人も花を届けた。高校3年の高橋彩佳さん(18)は「花の贈呈を通じて福島の人とつながれてうれしい」。この日は福島県楢葉町のコミュニティセンターで踊りを披露する予定だ。

境内や海へ向かう遊歩道では、大阪府松原市の中学生らがメッセージを記した黄色いハンカチがたなびいていた。「頑張れ福島」「笑顔で前進」などと書かれていた。

午前10時50分@岩手県陸前高田市 「いつもそばにいるよ」

村上容子さん(69)は刻銘碑の前で手を合わせた。当時中学生だった甥(おい)の慧悟さんを津波で亡くした。「友達7人と共に津波で流されてしまった。いつもそばにいるよと祈りました」

午前10時すぎ@岩手県宮古市田老地区 「きれいな海、余計に涙が」

181人が亡くなった岩手県宮古市の田老地区。同県花巻市の主婦(59)はこの地区の水産加工場で工場長だった友人の男性(当時45)を亡くした。一度は高台に登ったが、消防団員としての務めを果たそうと戻り、津波にのまれた。遺体はまだ見つかっていない。毎年、3月11日の早朝には海岸に行き、男性が好きだった酒と花を供えている。「きれいな海を見ると余計に涙が出る。誰かを助けるために落とした命もあると知ってほしい」

午前10時@宮城県岩沼市相野釜地区 「風化させない」

宮城県岩沼市相野釜地区にある復興祈念公園「千年希望の丘相野釜公園」で自由献花が始まり、多くの人が花を手向けた。仙台市の佐藤和夫さん(73)は震災当時、同地区で仕事中ですぐに車で避難した。「間一髪だった。すぐそばまで波が迫っていた」。毎年献花に訪れ、亡くなった人への追悼を欠かさない。「風化させてはならない」と語った。

午前10時@宮城県山元町 被災者と向き合う学生ボランティア

死者・行方不明者が600人を超えた宮城県山元町にある普門寺では、NPO法人「国際ボランティア学生協会」(本部東京、IVUSA)のメンバーが寺で開かれる追悼式の準備を進めていた。法政大学3年の竹内美佳子さん(21)は活動への参加が今回で6回目。「住民の皆さんの笑顔に会えるのがうれしい」と話した。

午前8時半@宮城県名取市閖上港 復興するも「悲しみは癒えず」

12年前、巨大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の閖上港。整備が進み、この日は穏やかな海が広がっていた。近くの食堂を訪れた同市の主婦、宮前瑶子さん(42)は漁師だった父と夫を亡くした。「きれいになった港を見てうれしくもあるが、思い出もなくなっていくようでさみしい。悲しさは癒えることはない」と涙をこぼした。

午前8時すぎ@岩手県陸前高田市沿岸部 「父のように真面目で勇敢に」

青森市から故郷の岩手県陸前高田市に足を運んだ自衛隊員の戸羽佳孝さん(33)は父と祖母を津波で亡くした。父はスーパーの店長で、足が不自由な来店客を避難させている途中で被災したという。「寡黙で会話は少なかったが、真面目で勇敢な人だった」。当時は大学生。父のように人のために行動する仕事がしたい、と自衛隊員になった。

午前6時15分@仙台市荒浜地区「長く無事でありますように」

仙台市若林区の荒浜地区の海岸では冷たい風が吹き付ける中、夜明けごろから人が姿を見せた。日本ビーチテニス連盟宮城県支部長の鹿島寛英さん(54)は支部のメンバーらとともに海に向かって手を合わせた。メンバーの中には自宅を流されたり、津波で家族を亡くしたりした人もいる。犠牲者を悼みながら「また海で楽しめるようになりますように。この地域が長く無事でありますように」と祈った。

午前6時@福島県いわき市薄磯海岸 鎮魂と希望の舞

いわき市の薄磯海岸では、地平線から朝日が顔をのぞかせる中、海に向かって舞をささげる人の姿があった。札幌市在住の舞踊家、小田原真理子さん(53)。震災後、いわき市でボランティアに参加して以来、毎年ここへきて鎮魂と希望の舞をささげているという。小田原さんは「まだ見つかっていない方も含めて安らかに眠ってほしいとの思いを込めました」と話した。

午前5時45分@奇跡の一本松 防災士「悲しみ、分かち合いたい」

岐阜県大垣市で防災士をする高根沢優さん(47)は11日朝、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の前で静かに手を合わせた。高根沢さんは11日から数日をかけて被災地を回る。高根沢さんの祖母は8歳の時に関東大震災を経験し、町中が火の海になる光景を目の当たりにした。幼いころ祖母に教わった災害の恐ろしさを「次世代に伝えたい」。大垣市と陸前高田市、距離は遠いが「思いを同じくして、悲しみを分かち合いたい」と話した。

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