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コロナワクチンの開発にヒトの胎児細胞が使われる理由

ナショナル ジオグラフィック

新型コロナウイルスワクチン接種が一部の企業などで義務化された米国では、宗教上の理由による接種義務の免除を申請する消防士や警察官などが相次ぎ、議論が巻き起こっている。大企業や一部の医療機関では2022年1月4日が接種期限とされているため、これから申請者が急増しそうだ。

人々が宗教上の理由としてよく挙げる要因が、ワクチンとヒト胎児に由来する細胞との関連だ。

新型コロナワクチンの試験や開発・製造にヒトの胎児細胞が使われているのは事実だ。これらの細胞は30年以上前に行われた数件の選択的中絶から得られたもので、以来、実験室で培養されている。同じ細胞株は、私たちが日常的に使っているアセトアミノフェン、イブプロフェン、アスピリンなどの医薬品の試験や研究のほか、アルツハイマー病や高血圧症の治療の研究にも使用されている。

「私たちの命を救ってくれる医薬品やワクチンを開発するために胎児細胞株がどれほど重要な役割を果たしているのか、多くの人は知りません」と米ジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターの感染症専門医アメッシュ・アダルジャ氏は話す。「新型コロナワクチンの開発に使用されているのは特別なことではありません」

宗教指導者の中には、科学的根拠に基づいて提言を行う人々もいる。米カトリック司教協議会が2020年12月に発表した声明では、ヒト胎児細胞株は間接的に人工妊娠中絶と関係があり、道徳的に問題があるとしている。その一方で、コロナ禍という深刻な健康危機においては、代替手段のない場合のワクチンの使用は、博愛と道徳的責任に基づく行為として正当化されるというバチカンのメッセージが繰り返されている。

宗教的な理由に基づく新型コロナワクチン接種義務の免除がこれまでに何件認められたかは不明だが、申請者は「信仰に偽りのないこと」を証明する必要がある。場合によっては、日常的な医薬品でも胎児細胞を使って開発されたものは利用していないことの証明が求められる。

医師たちは、一部の人々が新型コロナワクチンに反対するのは、科学に対する誤解があるからではないかと考えている。米ピッツバーグ大学医学部の家庭医学専門医で、米イーストリバティー家庭医療センターの非常勤医師でもあるリチャード・ジマーマン氏によると、患者の中には新型コロナワクチンには中絶された胎児の細胞が含まれていると信じ、ワクチンに懐疑的な意見を述べる人もいたという。もちろん、これは間違いだ。

以下では、胎児細胞は医薬品開発にどのように使用されているのか、胎児細胞はどこから来たのか、そして、なぜ代替品を見つけるのが難しいのかについて説明する。

胎児細胞が医薬品開発に必要な理由

ウイルスは細菌と異なり、感染した宿主細胞の中でしか成長・増殖できない。ワクチンは通常、弱毒化や不活化したウイルス、あるいはウイルスの重要なパーツや遺伝子を少量投与することで、病気を引き起こすことなく宿主の体に病原体を予習させている。こうすることで、免疫系は特定のウイルスについて記憶し、将来同じウイルスに遭遇したときにどのように破壊するかを覚えておくことができる。

したがって、製薬会社がワクチンを大量生産するには、ウイルスの成分を大量に作る方法が必要だ。

例えば、毎年製造されるインフルエンザワクチンは、ニワトリの受精卵を宿主としてインフルエンザウイルスを増殖させている。しかしワクチンメーカーは、ウイルスを哺乳類の細胞で培養することを好んでいる。主な理由は、ウイルスの突然変異を防ぎ、大規模生産がしやすいからだ。

製造には当初、ヒト以外の動物の細胞が使われていた。だが後になって、動物の細胞には他の好ましくない動物ウイルスが付着している可能性があり、ワクチンが汚染されるおそれがあることがわかった。例えば、1955〜1963年に大規模に接種された初期のポリオワクチンはサルの細胞を使って製造されていたが、後にSV40というサルウイルスが混入していたことが判明している。

もう一つの問題点は、ヒトウイルスの中には、ヒト以外の動物細胞中では増殖しないものがあったことだ。そこで科学者たちは、ヒトの胎児細胞を使ってワクチン用のウイルスを作ることにした。

成人の細胞とは違い、「胎児細胞は好ましくないウイルスによる汚染がまれであることが知られていました」と米カリフォルニア大学サンフランシスコ校の細胞生物学者レオナルド・ヘイフリック氏は言う。氏は、1960年代初頭にスウェーデンで行われた選択的中絶に由来する胎児の遺体から「WI-38」と呼ばれる最古の胎児細胞株を作製した。

だがその後、ヒト以外の動物細胞の中にも、ある種のウイルスに対するワクチンの開発で安全に使えるものがあることがわかってきた。例えば、アフリカミドリザル腎細胞は、ポリオや天然痘を含むいくつかのワクチンの開発に使用されている。

ただし、特に新しい種類のヒトウイルスについては「ヒト細胞株のほうが好まれています」とスウェーデン、カロリンスカ研究所のバイオマテリアル研究者アレッソンドラ・シュパイデル氏は説明する。動物よりヒト由来の細胞のほうが感染・増殖がうまくいく可能性が高いからではないかという。

胎児細胞はどこから来るのか?

胎児細胞株を作るには、死亡した胎児から採取した小さな組織片から、多数の細胞を分離しなければならない。個々の細胞は50回近く分裂できる(細胞の分裂回数の限界は「ヘイフリック限界」と呼ばれる)。これらの細胞は冷凍保存が可能で、場合によっては不死にもできる。そのため、何十年も前に採取された組織に由来する細胞が現在も使用されているのだ。

例えばヘイフリック氏は、ヒト胎児肺細胞が1000万個ずつ入った700本のガラス瓶を冷凍保存した。これらの細胞はたった1人の中絶胎児に由来し、もとの細胞集団を7回分裂させた時点で冷凍しているため、少なくともあと30回は分裂することができる。つまり、1本のガラス瓶から「数十トンの細胞」が得られることになると氏は言う。「世界中のワクチンメーカーに数年間にわたってWI-38細胞を供給できる量です」

現在、WI-38細胞は、水痘(みずぼうそう)、風疹、A型肝炎、狂犬病のワクチンの製造に使われている。胎児の腎臓や網膜の細胞を不死化し、永遠に分裂しつづけるようにした研究者もいる。例えば「PER.C6」細胞株は、1985年に中絶された妊娠18週の胎児の網膜細胞を不死化したものだ。

米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)は、PER.C6を用いて新型コロナワクチンを製造している。同社は、この細胞を使ってアデノウイルス(複製や病気を引き起こす能力をもたないように改変してある)を増殖させ、それを精製して、新型コロナウイルスがもつ特徴的なスパイクたんぱく質の遺伝子の運び役にしている。アデノウイルスが宿主にしていた胎児細胞は抽出・ろ過されているため、J&J社のワクチンには一切含まれていない。

米ファイザーと米モデルナは、1970年代に中絶された胎児の腎臓に由来する「HEK-293」という不死化細胞株を利用した。ワクチンの開発段階で、新型コロナウイルスのスパイクたんぱく質を作らせる遺伝的指令がヒトの細胞で機能することを確認するために用いられた。つまり、胎児細胞はPoC(概念実証)試験に用いられただけなので、両社のmRNAワクチンの製造には使われていないとシュパイデル氏は説明する。

「問題は、命を救う医薬品やワクチンや治療法を開発するのに、半世紀前に中絶されたヒトの胎児に由来する細胞株を利用したり、そうした治療法を用いたりすることが倫理的に許容されると信じるかどうかなのです」とカナダ、マクマスター大学の名誉教授で、分子ウイルス学と医学の専門家であるフランク・グラハム氏は言う。氏はHEK-293細胞株を生み出した人物だ。

たとえ将来のワクチンが、こうした胎児細胞株を使用せずに製造できるようになったとしても、その基礎的な役割を無視することはできない。同じことは、糖尿病や高血圧といった一般的な病気についても言える。これらの病気の研究や治療法の開発にも、胎児細胞は広く使用されている。

ジマーマン氏が担当した、ワクチン接種をためらっていた患者の何人かの心を動かしたのは、科学ではなく、「あなたの大切な人のために」という利他的なメッセージだった。「自分が原因で大切な人を感染させてしまうことは、誰も望んでいないのです」と氏は話す。

文=PRIYANKA RUNWAL/訳=三枝小夜子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2021年11月27日公開)

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