紺のパンツスーツで 後藤佐恵子・はごろもフーズ社長
NIKKEI The STYLE

澄んだ青い海と富士山の眺望が間近に美しい静岡市内の清水港。陸のほうへ目を移すと、中心辺りに白い4階建てのビルがある。創業は1931年で、50年代から「シーチキン」の商品名で知られるようになったマグロやカツオのフレーク缶詰などの製造元、はごろもフーズの主要工場だ。
社長の後藤佐恵子さん(48)は2019年に就任した6代目にして同社初の女性社長で、静岡市内の中心部に構える本社に毎朝8時に出社する。夫の仕事や2人の子供たちの通学で東京に住まいがあり、品川駅からの通勤だ。
オフィスに入ると、まずメールや書類に目を通し、8時半から会議や打ち合わせが続き、午後は来客などの応対。コロナ禍以前は1年の半分は魚や果物類、とうもろこしなどの原材料の仕入れや生産現場を確認するため、タイやインドネシア、フィリピンといった東南アジアのほか、米国などへの出張も多かったという。

仕事中の後藤さんの装いは、国の内外を問わず、基本的には紺のパンツスーツだ。男性のビジネススーツとほとんど変わらないスタイルともいえる。「日本はまだまだ男性社会なので、いわゆる女らしい服装で目立ちたくないという気持ちがあります」と後藤さん。また、「私自身が青とか紫が自分に似合うと思っているからでしょうか」。
子供時代は赤やピンクが好きだったというが、中学・高校時代は私立の女子校に通い、制服は茶系だった。おしゃれに目覚めたのは服装が完全に自由になり、周囲におしゃれな友人が増えた慶応義塾大学の学生時代だ。「スキーが好きになって、スキー場で思いっきり派手な格好を楽しむようになったことがきっかけでしょうか」と振り返る。
その後、米国の西海岸にある大学院に留学したが、「そんな格好で教室に来ていいの? みたいな女子学生もいて、参考になるどころかびっくりしました」。帰国後、米国系金融会社の支社や日本の食品会社で働いた時期もあるが、「基本的には現在の服装と同じでした」。
今自宅のクローゼットに並ぶ秋冬用のジャケットは10着近い。一見同じだが、よく見ればジャケットの丈、素材、襟の形、ウエストの絞り具合などがすべて異なる。
「実は私、背が高い方ではないせいか、既製品のスーツはなかなか合わないのです。それで母の友人でもともとブティックを経営していた方に頼んで仕立ててもらっています」と後藤さん。東京の代官山に店を構えていた元ブティック経営者は、年に2、3回生地のサンプルを持って後藤さんを訪ね、襟の形や丈、ボタンの位置、パンツの太さなどについて相談しながらデザインを決め、後は仮縫いし、2、3週間後ぐらいにはできあがるという。

この元ブティック経営者にも話を聞いた。「後藤さんの場合は色が紺系と決まっているので、あとは、シワになりにくく、着心地のよい素材を探すことと、その素材の質感や風合いを考慮しながら、オーソドックスで品のあるデザインを提案するよう心がけています」。仮縫いまで施した後は、山口県宇部市にあり、丁寧な作業で定評のある既製服の縫製工場に委託し、仕上げてもらうのだという。
オートクチュール(高級注文服)ではないので時間と価格はほどほど。注文から仕立て上がりまで5、6週間かかることが多く、質の良い生地ながら価格は既製服よりやや高い程度だとか。
インナーのブラウスは後藤さん自身が休日などに百貨店やブティックを回って探す。肌触りが良くて透けすぎず、洗濯しやすいことが条件という。同様に、靴についても「おしゃれより実用的であることが最優先」という。靴は、常にヒールが約3センチの黒のパンプスと決めている。仕事がら港や工場など水でぬれているところを歩くことが多いため、歩きやすく、汚れが目立たないことは絶対必要条件だからだ。
イヤリングなどもほとんどつけない。外れたら食品に異物が混入する恐れがあるためだ。
仕事中のおしゃれがストイックな分、休日は自由奔放、あるいは派手めかと尋ねたところ、「残念ながらそんなことはないです。花柄はまず着ませんし、つい青や白、紫系を選んでしまいます」。数年前のクリスマスに「夫と娘たちから思いっきり派手なオレンジ色のブルゾンを贈られた」という。「うれしいけど、やっぱりスキー場でなら、という感じです」と笑う。
後藤さんのファッションでもう一つユニークなのはスカートをはかないこと。その理由は「子供たちが小さいころ、一緒に遊びながら同じ目線でものを見てみたいと、よく床や地面にしゃがみました。スカートだと裾が汚れるし邪魔にもなるし。以来私の人生は"スカート無用"になってしまいました」

となると、式典や祝賀会などではどんな装いなのだろう。「経営者の会合など男性がブラックタイで集まるようなときは、私は紋付の着物で出席します」という。女性がロングドレスで参加するという場合も、後藤さんは着物で出席する。「祖母譲りの着物が3枚あるので、季節によって選んで、自分で着付けていきます。新年のお茶会には水色の訪問着で出席しました」
普段は実用重視で紺のパンツスーツに身を包むバイリンガルな着物美人。日本の新しい女性経営者像として「クール」といえそうだ。
ジャーナリスト 堀江瑠璃子
山田麻那美撮影
【NIKKEI The STYLE 2023年1月22日掲載】
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