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熊川哲也さん 自分のプライスに見合うもの手に入れる

バレエダンサー(こころの玉手箱)

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くまかわ・てつや 1972年北海道生まれ。89年ローザンヌ国際バレエ・コンクールでゴールド・メダル受賞。同年英ロイヤル・バレエ団入団、93年プリンシパル。98年Kバレエ・カンパニー創立、同団芸術監督。2013年紫綬褒章。

ローザンヌ国際コンクールのゴールド・メダル

僕のキャリアのスタート地点は、ここだ。17歳になる2カ月前、ローザンヌ国際バレエ・コンクールでゴールド・メダルを受賞した。若手の登竜門で日本人は初めてだった。

そのころ英国のロイヤル・バレエ学校に留学していたが、2歳上のクラスにいた。誰よりも高く跳んで、くるくる回って、技術はぶっちぎりで1番だった。「じゃあ、スイスに行くね。優勝して帰ってくるから」。現地でガーディアン(保証人)となっていた日英の夫婦が日本食のディナーで送り出してくれたとき、エレベーターの手動扉をガチャガチャと閉めながら宣言したのを覚えている。

決勝の舞台は東京だった。予選からぶっ飛ばして踊ったから成田に到着する頃にはくたくた。付き添いの先生に「身体(からだ)が言うことを聞かない」と訴えた。「それならサウナに行こう」と東京・青山のサウナに向かい、同じ学校のアダム・クーパーと3人で温まった。筋肉はかえって柔らかくなり過ぎてしまったが、心もほぐれた。「ドン・キホーテ」でジャンプとピルエットをこれでもかと披露して、最高位を射止めた。

サラリーマンと専業主婦の、バレエとは無縁の家で育った。従姉弟(いとこ)のレッスンを見て興味を持ち、習い始めたのは10歳だ。どんどん身につくのが面白くてのめり込み、剣道や野球をやめてもバレエだけは続けた。海外から来た講師の目にとまって留学が決まり、高校1年の夏にロンドンへ向かう。

1ポンド240円の時代に留学させるのは、かなりの負担だったに違いない。おふくろは昼にスーパー、夜は寿司店のパートを掛け持ちし、おやじは会社からお金を借りて、祖父の援助も得て費用を捻出した。一家が一致団結して送り出してくれたのだった。

コンクール後に入った英ロイヤル・バレエ団は、僕が初めての東洋人。いま思えばずいぶん意地悪もされたが、そんなこと気にしなかった。目の前に集中し、チャンスをものにして、ぐんぐんと前に進んでいた。

16歳の少年か――。いつもは引き出しの奥にあるメダルを改めて眺めると、まるで他人事のように感じる。あのころの自分に声をかけるなら、そのままの性格で頑張れよ、と言うだろうか。出る杭(くい)が打たれた時代に常に自分を持ち続けた少年の、まっすぐなまなざしを懐かしく思い出す。...

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