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乳がん、転移しやすいのは明け方 効率的な治療に道

ナショナルジオグラフィック

人間の脳に内蔵された体内時計の親時計(マスタークロック)は、夜眠って朝目覚める24時間周期のタイマーとして働くだけでなく、日々のホルモンの量を管理する、体温を調節する、空腹を知らせる、消化のスケジュールを決めるといった、何百種類もの生理的機能に関わっている。今回、乳がんの患者を対象とした新たな研究により、がん細胞がこうしたホルモンサイクルの影響を受け、患者が眠っている間により広がっていることが明らかになった。

がん細胞は、もともとの腫瘍から細胞が離れて、血管の壁を越えた後、血液系やリンパ系を通じて遠くの組織まで移動することによって新しい場所へと広がっていく。この「転移」が、がんによる死亡の大半を引き起こす。こうした「血中循環がん細胞(CTC)」はこれまで、一日中ずっと血流中に出ていると考えられてきた。しかし、6月22日付けで学術誌「Nature」に発表された新たな研究により、乳がん患者の場合、CTCの大半が睡眠後期の日の出直前に放出されることが示された。

「患者が眠っているとき、腫瘍は目を覚ますのです」と、同研究を主導したスイス連邦工科大学(ETH)チューリッヒ校の分子腫瘍学者ニコラ・アセト氏は言う。

論文の筆頭著者であるがん細胞生物学者ゾーイ・ディアマントプールー氏は、「われわれは生体組織診断のタイミングが、より良い診断のためには非常に重要であることを実証しました」と述べている。

科学者らは、この研究が、がんが睡眠や休息によって引き起こされることを示すものではないと強調している。同研究が示しているのは、いったんがんができると、その進行は睡眠とそれに関連するホルモンの影響を受けるという点だ。

「すでにがんを持っている患者にとって、しっかりと睡眠をとることは、体のその他の部分を強く保って治療に耐えたり、病気を撃退したりするうえで不可欠です」と、論文の解説記事を「Nature」の同じ号に寄稿した米ミシガン大学の大学院生ハリソン・ボール氏は言う。

睡眠は、がんから身を守るための強い免疫系を促進する。「免疫系は、人が十分な休息をとったときに最もよい働きをします」と、米ミシガン大学アナーバー校の化学エンジニア、スニタ・ナグラス氏は述べている。

今回の研究は、がん生物学における重大な知識の隙間を埋めるものだと、フランス、パリ・サクレー大学の腫瘍内科医で、30年間にわたって概日(がいじつ、約1日周期)リズムが健康と病気にどのように影響するかを研究してきたフランシス・レビ氏は言う。

「臨床医に時間帯の重要性を認識してもらうには、この先まだ数十年はかかり、また臨床試験も必要になるでしょう」と語るのは、スイス、ジュネーブ大学の免疫学者クリストフ・シャイアマン氏だ。それでも、この研究結果をもとに、夜間に血液を採取することは、がんの診断にとってすぐにでもできる重要なことではないかと、氏は考えている。

免疫とがんのリズム

人間の脳にある親時計は抽象的な概念ではない。この時計は、視床下部(ししょうかぶ)前部の視交叉上核(しこうさじょうかく)にある約2万個の"概日時計ニューロン(神経細胞群)"であり、ほぼ24時間の生理的・行動的変化のサイクルを制御している。

健康な細胞にある遺伝子の大半は、早朝と午後遅い時間に最も活発になるが、それ以外の遺伝子は、夜の早い時間と、食べ物の摂取が起こらない睡眠中にピークを迎える。「一般にこうした同期は、ホルモンをはじめとする、体内を循環しているさまざまなシグナル分子の放出によって行われます」とボール氏は言う。

人間の場合、光の量が低下すると、概日時計ニューロンが睡眠ホルモンであるメラトニンを分泌する。そのほかのホルモン(食欲を調整するレプチンや、ストレスに対応して増えるコルチゾールなど)を生成する遺伝子もまた、光と闇のサイクルに対応している。

人間の活動が24時間の昼夜サイクルと相いれない場合(夜勤と日勤を繰り返す交代勤務者など)、その概日リズムとのズレががんの発生リスクを高める。女性の客室乗務員や看護師は乳がんになるリスクがやや高いが、これはおそらく概日リズムの乱れが原因であると思われる。マウスを使った実験でも、交代勤務のような状態にすると、乳がんの発生リスクが高くなることがわかっている。

交代勤務のリスクは、乳がんだけでなく、前立腺がんや心血管疾患、その他複数の慢性疾患にも及ぶ。こうした人々はまた、感染症にかかる可能性も高いと、レビ氏は言う。

主要なホルモンが直接影響する

睡眠と覚醒のサイクルが頻繁に乱されることが、なぜがんのリスクの上昇に関係するのかは明らかになっていないが、研究では、免疫の低下、慢性的な炎症、あるいは細胞増殖の増加が原因である可能性が示唆されている。

「免疫細胞も概日時計を持っており、その働きには日々の変動が見られます」と、京都府立医科大学大学院教授の八木田和弘氏は言う。

感染症などの病気と闘ったり、腫瘍を排除したりする白血球の循環レベルは、休息期(人間であれば夜、マウスであれば昼)にピークに達する。環境のサイクルと体内の概日時計のズレは、細胞の代謝の混乱を引き起こし、機能不全につながる。一方で、「睡眠はがんを防ぎ、そのリスクを減らすうえで非常に有効です」と氏は言う。

しかし、がん化した細胞は概日リズムを外れてしまう。「がん細胞や腫瘍は通常、健康な組織で見られるようなサイクルを示しません」とシャイアマン氏は言う。「そうした細胞には時間がわからないのです」

だからこそ、チューリッヒの研究において、メラトニンやテストステロンといった概日リズムに関連する主要なホルモンがCTC生成の変動に直接影響を与えたことは、科学者たちに驚きをもって受け止められた。

明け方に圧倒的に多かった

異なる時間帯にがん患者から採取した血液サンプルから検出されたがん細胞の数に違いが見られたことが、さらに研究を進めるきっかけになったと、アセト氏は言う。

「われわれは、CTCの放出が日中に一定の割合で行われるのではなく、増減することに気づきました」と、ディアマントプールー氏は言う。「そこで、CTCの放出がどのように制御されているかを追求しようと思ったのです」

科学者らは、睡眠を司るメラトニン、またストレス反応、エネルギーフロー、体温といった主要なプロセスのバランスをとるコルチコイドのようなホルモンが、がん細胞が放出されるタイミングを促す信号になっているのではないかと考えた。

これらのホルモンは概日リズムの調節因子として知られており、その血中濃度はどちらも普通は午前3時から4時半の間にピークに達する。そこでディアマントプールー氏は、乳がんで入院中の患者30人から、午前4時と午前10時にそれぞれ1回ずつ血液を採取した。

そして氏は、CTCの量の約80%が、患者が休息している午前4時に採取した血液サンプルから検出されたことを発見した。理解をより深めるために、科学者らは、実験的にがんを誘発したマウスを使ってこの研究結果を再現した。マウスは夜行性であるため、彼らが休息している日中のCTCレベルは、彼らが活動している夜間のそれに比べて最大88倍高くなった。マウスの睡眠・覚醒サイクルを乱すと、血液中のがん細胞は減少した。

休息期の間に放出されたがん細胞は、健康な細胞よりも速いスピードで分裂した。これらの細胞はまた、新たな腫瘍に成長する割合が高く、睡眠中に出たCTCは何らかの理由で転移を引き起こしやすいことを示唆している。

「これらの循環がん細胞は、放出された後、別の組織に急速に取り込まれていると思われます」とシャイアマン氏は述べている。

「細胞の数が異なるだけでなく、休息期のCTCが、わずか数時間後と比べてより攻撃的であるというのは驚きです」と、ナグラス氏は言う。

メラトニンはCTCの生成と腫瘍の成長を増加させるが、メラトニンを阻害する化学物質を用いれば、その効果を逆転できた。一方でインスリンは、腫瘍細胞の増殖を促進した。これが示唆しているのは、がん細胞は依然として、昼夜のサイクルや概日リズムに関わる何らかの手がかりに反応しているということだ。

「循環しているがん細胞が、休息期に成長・分裂しやすいというのは理にかなっています。これはがん細胞以外にも見られるパターンです」とボール氏は言う。増殖の増加はまた、これらの細胞がより「攻撃的」になる、つまり、より広がって二次的な腫瘍をつくる可能性を高める。今回の研究結果は、がんの生検の新たな手法の開発だけでなく、治療を一日のうちの異なる時間帯に行うべきかどうかの検討につながるだろう。

他のがんはどう?

患者の概日リズムに合わせて投薬スケジュールを組む時間治療(クロノセラピー)という考え方がある。これはまだ研究の初期段階にあるが、レビ氏の研究は、概日時計を考慮に入れることで、数十種類のがん治療薬の効き目と耐性に影響を与えうることを示している。乳がん、卵巣がん、肺がんなどに、時間治療が有効であることは他の試験でも示唆されている。

「われわれは、同じ化学療法計画でも、一定の速度で投与した場合と、時間を調整したうえで投与した場合とでは、毒性に最大5倍という重大な違いがあり、有効性はほぼ2倍になることを発見しました」とレビ氏は言う。

レビ氏が主導した大腸がんの臨床試験では、概日リズムに合わせた投与スケジュールを組むと、性別によって効果が異なる可能性も示唆された。

アセト氏の発見は重要な基礎となるものだが、やることはまだ残っているとレビ氏は言う。「今回の研究では、2つの時間帯しか検証していない点が不十分です」。また、実験で使用されたマウスにも見られたように、患者の概日リズムにはばらつきがある。朝型や夜型など、概日リズムの周期にもとづく患者の体質(クロノタイプ)も決して同じではない。腫瘍の性質や化学療法もまた、患者の概日リズムを乱す要因となる。

次に行うべきは、「今回観察された結果が、すべてのがんに当てはまるのか、それとも(乳がんのような)ホルモンに反応するがんだけに当てはまるのかを確かめること」だと、ナグラス氏は言う。

文=SANJAY MISHRA/訳=北村京子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年7月20日公開)

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