金芝河 日韓つなぐ叙情詩人が貫いた環境、生命への関心

韓国の詩人・金芝河(キム・ジハ)が5月8日に81歳で死去した。軍事独裁体制にあった1970年代の韓国で朴正煕政権や特権階級を批判する詩を発表し、韓国民主化運動の象徴的な存在として知られる。1974年には死刑が求刑され日本でも作家の大江健三郎らが救援活動に取り組んだ。一方、晩年には朴正熙の娘で保守系の朴槿恵元大統領を支持し非難も受けた。金芝河の功績や彼の作品、思想を日韓社会がどう受け止めたのかについて、識者に聞いた。
京都大学教授・小倉紀蔵さん「環境への関心、一貫」
金芝河は韓国南西部の港町、全羅南道木浦市の生まれだ。海と陸の美しい自然に恵まれて育った彼の根本的な関心は環境問題にある。反権力のアイコンだったのは確かで、日本の左派も独裁政権と闘う「善なる勢力」として支持した。だが彼が朴正煕政権に反対したのは、それが自然と命の連環を壊すものだからだ。
韓国では91年に「金芝河は死んだ」といわれている。この時期同国では民主化運動への弾圧に抗議を示す、若者の焼身自殺が相次いだ。金芝河は、命こそ大事であり、生きてすばらしい世の中を創れとする論文を保守系新聞に書いた。闘って命を捨ててこそだと考える学生たちが、とんでもないと息巻いたのを当時韓国の大学にいた私はよく覚えている。民主化運動の英雄は、ひとつのコラムで信頼を失った。
その後の金芝河は環境運動にまい進する。70年代に日本の公害を非難した彼は、日本の環境問題への取り組みは高く評価するといった柔軟な人だ。民族主義的な民主化勢力からは節操がないと見えただろう。しかし環境や命、自然が大切だという姿勢は一貫しているのだ。
保守に転向したといわれるが、そうではない。金芝河はフランスの現代思想に関心を示していた。豊かになった韓国では二項対立的な近代の思想から脱する運動が必要だと話し、ポストモダンの思想を持った詩を書いた。哲学的に重要な発言も多く、今後の評価が待たれる。
韓国文学研究者・吉川凪さん「日韓市民が初めて連帯」
言論が弾圧されると詩は栄える。かつての韓国がそうだった。金芝河らが投獄されたのをきっかけに、日本の人々は初めて本気で韓国に関心を持ち、市民同士の連帯を試みた。ハングルを学ぶ人、韓国文学を研究する人も少しずつ出てきた。だが70年代に金芝河に関心を寄せた日本人の多くは、詩人というより民主化運動の闘士としての彼を評価していたようにも見える。
韓国でも現在、金芝河の詩をまともに論じようとする人は少ない。金芝河死去のニュースも、詩人というより民主化運動の象徴だった人間の死、そして一つの時代の終わりを告げるものとして報道されているようだ。
「一九七四年一月を死と呼ぼう/午後の通りで 放送を聞いて消えていった/お前の目の奥の光を死と呼ぼう」。1974年、改憲運動を禁止する「大統領緊急措置」発動に際して金芝河が書いた詩「1974年1月」の一部だ。抵抗詩には観念的でつまらないものが少なくないけれど、この詩は違う。闘士のイメージで語られる金芝河だが、実は繊細な抒情(じょじょう)詩に優れているように思う。
今の韓国において詩は以前のような影響力は持たないものの、若者の貧困を表現したり、ユーチューバー的な人気を博したりと、多様な詩人が活躍している。金芝河の詩もいつか客観的に評価される時が来るだろう。
(聞き手は桂星子)