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祖父母のレコード・父の絵… ロバート・キャンベルさん

こころの玉手箱

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米ニューヨーク市生まれ。ハーバード大大学院博士課程修了。東大大学院教授、国文学研究資料館館長などを経て、早稲田大特命教授。専門は近世・近代日本文学。テレビ番組のコメンテーターも務める。著書に「井上陽水英訳詞集」など。

生まれ育ったアパートの避難階段

ぼくが生まれ育ったのはニューヨーク市のブロンクス地区で、いつの時代でも貧しい人々の、変化の少ない街であり続けた。20世紀初頭から戦前にかけて東欧や南イタリア、アイルランドなどから迫害と貧困を逃れ、海を渡ってきた第一世代の住民たち。彼らは、宗教も言語も食べ物も違うけれど、地縁を伝ってアメリカ社会で最初の一歩を踏みだし、家庭を作って、子育てしながらその子供たちを少しでも豊かな場所へと送り出すよう幾多の苦労を重ねた世代であった。

母は近くの高校を卒業後、秘書として働き、職場で出会った男性と結婚し、子供を一人もうけた。その子供が物心つく前に夫と別れ、十数年同じブロンクスのアパートで暮らし、仕事と子育てに人生を懸けた。

アパートは、戦前に建った5階建ての鉄骨ビルで最上階、エレベーターもないので子育てに加勢するため隣に引っ越してきた祖父も祖母も母もぼくも、毎日何度となく階段を上り下りしていた。踊り場ごとに4戸の住居が向き合っている。上階に行くに従ってお互い仲が良いと見えて、5階の踊り場では常に扉を半開きにして、下校した子供が出入りできるようにしてくれていた。おやつを食べさせてくれたり、カラーテレビを見せてもらえたりするような他人の集団であった。

祖父と祖母はアイルランド南部にあるそれぞれの村から海を渡り、兄弟が先着したブロンクスで出会い、結婚し、その地で生涯を全うした。

平日は午後になると、祖母の姉妹たちがケーキを携え、お喋(しゃべ)りにやってくる。タバコを片手にケーキをすくい、紅茶をすすり、延々語り合っている風景は幼いぼくの脳裏に焼き付いた。大人が結集する台所からアパートの奥の方にある寝室が子供の居室になっているので、ケーキとお小遣いを持って引っ込んでいったのであった。

寝室の窓から出られる外階段があった。英語でいうファイヤー・エスケイプ。ニューヨークの古いアパートには設置が義務付けられる避難階段である。黒い鉄製のすのこに座っていると、一人になれる。子供だけの世界があり、踊り場にはない軽く透明な空気が流れていた。...

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