本・工具入れ…現代美術家への道しるべ 宮島達男さん
こころの玉手箱
ドゥルーズ&ガタリ著「アンチ・オイディプス」
「〈それ(エス)〉はいたるところで機能している。中断することなく、あるいは断続的に。〈それ〉は呼吸し、過熱し、食べる。〈それ〉は排便し、愛撫(あいぶ)する」
哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの「アンチ・オイディプス」(市倉宏祐訳)の冒頭の一節を初めて読んだ時、衝撃が走った。
この本に出合ったのは就職して2年がたつ頃。東京芸大の大学院を修了後、就職した出版社での仕事の傍ら、私は作品制作を続けていた。浪人時代が長かったため31歳も目前。軸になるコンセプトを見つけ、作家として腹を決めなければならない時期が迫っていた。
制作をしていると、完成度が高くきれいなものを作ることが目的になりがちだが、重要なのは自分が言いたいことを言えているかどうかだ。軸がないまま作品を作っていると、自分が本当は何をしたいのかがわからなくなってしまう。
個展のためにとった3カ月の休暇を使い、日本美術を見直し、当時流行していたニューアカデミズムの本を読み込んだ。その中で出合ったこの本は、生命そのものについて記述していながら、哲学書とは思えないほど詩的で、感覚的な物事の捉え方をしていた。冒頭の「それ」が何を示すのか、その受け取り方も自由だ。
「自分もコンセプトを詩のような形で、数センテンスにまとめたい」。自分の中で大切だと思う単語を何百と書き出し、共通する意味を持つ単語に絞っていった。最後に残ったのが私にとって制作の軸となる3つのコンセプト、「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」である。
試行錯誤するうちに、以前から作品の一部に使っていたデジタルカウンターがコンセプトを表現するのに適していると感じるようになった。初めてデジタルカウンターを主軸として制作した「Sea of Time」で88年のベネチア・ビエンナーレに招待され、国際的にも評価を受けた。
地盤作りともいえるこの期間は苦しかったが、それ以上に確固たるコンセプトを見つけられたことは幸運だった。「この先30年、どんな大変な山でも登っていける」という確信があった。
見返すと、ラインマーカーや付箋など読み込んだ形跡が残る。作家としての道しるべとなるコンセプトを示してくれた大切な本だ。...