「がんワクチン」研究加速 かかった人も治療に可能性 - 日本経済新聞
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「がんワクチン」研究加速 かかった人も治療に可能性

ナショナルジオグラフィック

一般的に、ワクチンはあらかじめ病気から私たちを守るものだ。だが「がんワクチン」は、すでにがんにかかっている患者の治療に主に使われる。がんワクチンは長年研究され、幾度も失敗が繰り返されてきたが、最近は明るい兆しが見え始めている。

この10年間にゲノム解読などの技術革新が進んだことで、がん細胞とその遺伝子の変異をより詳しく調べられるようになった。その結果、標的がより明確なワクチンを設計できるようになっている。それと同時に、免疫系そのものや、免疫系ががんを認識し破壊する仕組みについても研究が進んでいると話すのは、米ラホヤ免疫研究所の細胞免疫学者スティーブン・ショーエンバーガー氏だ。

がんワクチンの研究はまだ初期段階にある、と米マウントサイナイ・アイカーン医科大学の血液内科・腫瘍内科の専門家ニーナ・バルドワジ氏は話す。だが、さまざまながんに対する数十種類のワクチン候補について初期の臨床試験(治験)が行われており、有望な結果が得られているという。

開発の目標は、がん細胞を破壊するワクチンの実用化だ。一方で、リスクが高い人のがん発生を予防できるワクチンの試験も行われている。

がんワクチンとは?

あらゆるワクチンの目的は、体の安全を守るために、免疫系に標的について教え込むことにある。例えば、新型コロナウイルスワクチンは、ウイルスの情報を事前に免疫系に教える。そのおかげで免疫細胞は、侵入したウイルスをすぐに特定して破壊することができる。

同じように、がんワクチンもがん細胞の「顔つき」を免疫細胞に教え込んで、免疫細胞ががん細胞を見つけて破壊できるようにさせる。この「教育」というプロセスが、サイトカインや抗体などを治療に活用したり、患者の免疫細胞の遺伝子を改変してがん細胞と闘わせたりする他の免疫療法と異なる点だ。

専門家によれば、がんワクチンには、他の治療法で生き残ったがん細胞を破壊したり、腫瘍の成長や転移を防いだり、がんの再発を防止したりできる可能性がある。

がん治療用ワクチンの中には、免疫細胞の「樹状細胞」を利用するものもある。患者の血液サンプルから樹状細胞を取り出し、その患者のがん細胞から得た主要なタンパク質にさらして樹状細胞を教育するのだ。すると、患者の体内に戻された樹状細胞は、T細胞など他の免疫細胞に対し、がん細胞を見つけて破壊するように刺激したり教えたりすることが期待される。

T細胞は生物学的に最も驚くべきトリックをやってのける、と米メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの腫瘍内科医クリストファー・クレバノフ氏は解説する。T細胞には、腫瘍細胞の表面にあるタンパク質を認識し、結合する受容体がある。まるで鍵と鍵穴のような関係だ。いったん結合すると、T細胞は腫瘍細胞に穴を開けて破壊する。

しかし「残念ながら、大きな腫瘍の除去に必要な質と量のT細胞をワクチンで生み出すのは、まだ難しいようです」とバルドワジ氏は話す。ワクチンは腫瘍が小さいうちに接種することが望ましいそうだ。

がんワクチンの効果を強化するために、腫瘍に対する免疫の反応を促す医薬品と組み合わせて使用する研究もよく行われている。

現在、ワクチンメーカーではmRNA(メッセンジャーRNA)技術の活用が増えている。これは新型コロナワクチンの開発にも用いられた技術だ。mRNAがんワクチンは、患者の体内の樹状細胞に、腫瘍に特有のタンパク質やペプチドを産生するよう指示し、免疫反応を生み出す。

また、がんの予防を目的としたワクチンもいくつかある。B型肝炎やヒトパピローマウイルス(HPV)のワクチンは、一般的なワクチンと同じように、将来的にがんをもたらす恐れがあるウイルスへの感染を防ぐ効果をもつ。

がんワクチンはどう作られるのか

すべてのがん治療用ワクチンの鍵となるのは「腫瘍関連抗原」というタンパク質だ。これが健康な細胞よりもがん細胞の表面に大量に存在したり、異常や変異がある形で存在したりすると、免疫反応が引き起こされる。T細胞が腫瘍関連抗原を「発見」すると、細胞をがんと認識して破壊する。

がん生物学者たちは、健康な細胞とがん細胞のDNAやRNAの特異な違いを識別できるシークエンシング技術を活用して、こうした腫瘍抗原を特定する。ショーエンバーガー氏によれば、どの変異がT細胞の応答を引き起こし、ワクチンの適切な標的になり得るかを見極めることが重要だという。

ショーエンバーガー氏のグループでは、患者のがんに対する免疫系の反応に基づいて抗原を選択している。血液サンプル中のT細胞を調べて「患者自身の免疫系が腫瘍の遺伝子変異の中から何を標的として選択したかを探っています」と氏は話す。氏は、患者個人のがん細胞に固有の抗原を特定し、それと他の患者から採取した「腫瘍特異抗原」を組み合わせてワクチンを作成している。また、特定のがんを発症した患者たちに共通する抗原や、異なるタイプのがんに共通の抗原を探す研究者もいる。

がん細胞には過剰に存在するが、健康な細胞にも少量は存在する分子を標的とするワクチンの効果には限界があり、有効な免疫反応を引き出せない恐れがある。「これは大きな問題でした」と、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校のがん免疫学者リサ・バターフィールド氏は言う。免疫系が健康な細胞を攻撃する自己免疫という状態を引き起こす危険もあり、治療が困難な免疫異常につながることもある。そこで現在、がん細胞にしかない「ネオアンチゲン」(新抗原)という標的分子が注目され、研究が進められている。

承認されたがん治療ワクチンはある? その仕組みは?

2010年、米食品医薬品局(FDA)は、進行性前立腺がん用に「シプリューセル-T」というがん治療ワクチンを初めて承認した(編注:日本未承認)。このワクチンの標的は「前立腺酸性ホスファターゼ」という抗原で、正常な前立腺細胞にもあるが、がん細胞にはより多く存在する。2010年7月に医学誌「The New England Journal of Medicine」に発表された治験結果によると、シプリューセル-Tを投与された患者は、腫瘍の大きさに変化はなかったものの、投与されなかった患者よりも中央値の値では約4カ月長く生きた。

がん細胞そのものではなく、B型肝炎やHPVなどのウイルス用に承認されたワクチンも、将来的に肝臓がん、子宮頸がん、頭部がん、頸部がんを発症させうるウイルス感染を防止するので、がんワクチンとみなされる。

予防目的のこうしたワクチンは、ウイルスに対する抗体を産生して効果を発揮する仕組みであり、現時点で分かっている限りT細胞の反応にはあまり効果がないとクレバノフ氏は説明する。「ですから、がんの治療には使用できないのです」

実用化が近いがんワクチンは?

現在、多数のがんワクチンの治験が進行中だ。他の免疫療法と併用する場合が多く、皮膚がん、乳がん、膀胱がん、前立腺がん、すい臓がんなど、さまざまながんが対象になっている。

2022年12月13日、米ワクチンメーカーのモデルナ社は、同社で開発中のmRNAワクチンの治験結果を発表した。この治験は、ステージ3または4のメラノーマ(悪性黒色腫、皮膚がんの一種)患者に対して実施された。このワクチンと、がん細胞に対する免疫反応を強化する米メルク社の治療薬「キイトルーダ」を併用した患者群では、キイトルーダを単独で使用した患者群と比較して、皮膚がんの再発または死亡が44%少なかった。

このワクチンは、個々の患者に合わせて作られた個別化mRNAワクチンであり、34のネオアンチゲンに対してT細胞の反応を引き起こすよう免疫系に指示する。今回の第2相治験の結果はまだ査読前だが、モデルナ社とメルク社は、ワクチンの安全性と有効性を確認するため、2023年にはさらに大規模な第3相治験を実施する予定だ。

一方、米ピッツバーグ大学のがん免疫学者オリベラ・フィン氏は、大腸に良性のポリープがある患者が前がん段階で接種できる予防ワクチンの治験を行っている。ポリープ自体は危険ではないが、悪性に変わることもあるからだ。

予防ワクチンの標的は、一部の良性大腸ポリープ細胞から生じる「MUC1」という異常な形のタンパク質だ。このワクチンを進行性ポリープがある約50人に接種したところ、3年以内の再発が38%減少した。治験の結果は査読前論文を投稿するサーバー「medRxiv」で2022年10月に公開された。「新しいポリープができなければ、大腸がんのリスクも増加しません」とフィン氏は言う。

次の重要なステップは、なぜワクチンによく反応する人とそうでない人がいるのかや、ワクチンの効果はどれほど長く続くのかを見極める研究だ。それまでの間は、多くのワクチン候補が第3相治験に進み、大規模な患者グループを対象に有効性と安全性の評価がより厳密に行われるよう期待されている。

今後の課題は?

技術が進歩し、がんワクチンの開発と治験が進む一方で、クレバノフ氏のように懐疑的な見方をする研究者もいる。

がんワクチンは、臨床的に有意な水準まで腫瘍の縮小をもたらす効果をもちうるのだろうか。より高度にがん細胞を認識できるよう患者のT細胞を改変する「キメラ抗原受容体T細胞療法」(CAR-T細胞療法)などの方が、もっと有効な治療法になるのではないか。クレバノフ氏はこのような疑問を抱いている。氏の研究グループは後者のアプローチを用いているが、氏は現在進行中のワクチン治験で明らかにされるデータに注目したいと考えている。

ショーエンバーガー氏によれば、治療用ワクチンの治験は、進行がんの患者が対象となることが多い。しかし、こうした患者は、手術で腫瘍を摘出し、化学療法や放射線治療も経験しているので、免疫系がかなり疲弊している。こうした末期段階ではワクチンが十分に効果を発揮できない可能性もあるため、がんワクチンが最も有効な患者や症状を特定する必要があると氏は話している。

がんワクチンはまだ治験と改良の初期段階にある、とバターフィールド氏はくぎを刺す。予防用ワクチンと治療用ワクチンはいずれも、なすべき研究が山積している。

文=PRIYANKA RUNWAL/訳=稲永浩子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年12月30日公開)

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