柔道五輪V2・大野将平、指導者の道へ パリは出場せず
(更新)

柔道男子73キロ級で2016年リオデジャネイロ五輪、一昨年の東京五輪を連覇した大野将平(旭化成、31)が7日、東京都内で記者会見し、英国に2年間留学して当面は指導者の道を歩むと表明した。3連覇のかかっていた24年パリ五輪には出場しない。
年内に日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修事業で渡英する予定。一方で将来の試合出場の可能性は否定せず、「柔道家に引退は無く、一生修行だと思っている。引退だとか、一線を退くというような小さな枠組みで捉えてほしくない」と強調した。
大野は山口県出身。天理大4年生の13年に世界選手権で初優勝、15年、19年と3度制した。力強い組み手からの内股や大外刈りを駆使し、柔道界の大黒柱として存在感を示してきた。東京五輪後は体重無差別で争う全日本選手権には出場したものの、自身の73キロ級では実戦復帰していなかった。
年内に日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修事業で渡英する予定。一方で将来の試合出場の可能性は否定せず、「柔道家に引退は無く、一生修行だと思っている。引退だとか、一線を退くというような小さな枠組みで捉えてほしくない」と強調した。
大野は山口県出身。天理大4年生の13年に世界選手権で初優勝、15年、19年と3度制した。力強い組み手からの内股や大外刈りを駆使し、柔道界の大黒柱として存在感を示してきた。東京五輪後は体重無差別で争う全日本選手権には出場したものの、自身の73キロ級では実戦復帰していなかった。
孤高の柔道家 試合から離れて続ける探求の道
孤高の柔道家――。大野将平にはそんな呼称が似合う。組み手の取り合い、探り合いに主眼を置く選手が増える中、大野が信条としてきたのは日本柔道の原点である「正しく組んで、正しく投げる」こと。「『ラストサムライ』だと思って戦ってきた」と自身が語るとおり、スポーツ性の追求に迎合することなく〝古き良き日本柔道〟を体現する存在だった。

2連覇を達成した東京五輪後、自身の階級での実戦復帰は無かった。「心の燃える大会が出てこなかった。同じ階級で10年間戦う中で、やりたい選手もいなくなった」。昨年12月に日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長などから指導者研修への応募を勧められ、試合から離れる決断に至った。
「私にとって試合は命をかけて戦うところ。楽しむ場ではなかった」。欧州で新たなスタートを切り、柔道の楽しさを再確認したいという思いもある。「日本は五輪の金メダルが当たり前で、なかなか評価されない切なさも感じていた。欧州の柔道の人気や熱量はすごいものがある。国際大会の裏側、運営についても聞いてみたい」

今後は旭化成のプレイングコーチとして指導者の道を歩み始める。後進に向け「武道とスポーツという違いを理解して畳に立ってほしい。柔道独自の価値を見いだしていくことでしか、生き残っていくすべは無い」と訴える。
相手と正対して組み合う大野の柔道は世界から称賛を集めてきた。「勝つことを当たり前として、その上で勝ち方まで求められることにやりがいを感じていた。一つの教科書になれるように努めてきた」。戦いの場を離れても、柔の道の探求は続くのだろう。
(木村祐太)