絵皿から薫るフランスの風 歴史学者・福井憲彦さん
こころの玉手箱
仏ジアンの牡丹の絵皿
この手描きの牡丹(ぼたん)の絵付け皿は、フランス中部のジアンという町で作陶されたもの。「庶民の家庭によくあるものだけど」と言って、私たちの結婚祝いに下さったのは、ファデフ夫妻であった。もう半世紀近く以前のパリでのことである。
その頃、留学生活を送っていた私は、現地で日本人女性と結婚することになり、その立会人になってくれたのが彼らである。企業の宣伝部に勤める画家であった夫君のディディエは、フランスの普通の家庭生活を知りたかった私に、いろいろなことを教えてくれた恩人だが、もう晩年であった彼の父親は、かつてコサックの一員でロシア革命軍とも交戦した後に、フランスに亡命してノルマンディ出身の女性と結ばれた人だった。家には当時のサーベルがあり、びっくりした。
私と同年齢だった奥さんのヴィッキーは、ラテン系の雰囲気を持つ素敵(すてき)な方だったが、驚いたことに、大阪で日本女性と進駐軍の軍人との間に生まれたという。その後、彼女はロシア人夫妻の養女となり、その滞在地ベネズエラで子供の頃を過ごし、高校はイギリスの寄宿制女学校に学び、フランス旅行した際に出席したロシア系のコミュニティの集いで、ディディエと遭遇して恋愛結婚に至った。旅行会社に勤める彼女は、フランス語だけでなく、履歴と対応してスペイン語と英語、そして養母の使うロシア語と、何か国語も流暢(りゅうちょう)に使う。日本語も話したいのだけれども難しすぎる、と言っていた。
フランスの研究者によると、20世紀末の時点で、フランス人の約2割は、その両親か両祖父母のうちに、1人は外国出身者がいる。移民大国とは知っていたが、夫妻のファミリー・ヒストリーは私の想像を超えるものだった。
彼らに娘が誕生して、洗礼式をパリ8区にあるロシア正教会で挙げるという。もちろん出席するよと言ったら、仰天したことに、私に代父つまりゴッドファーザーになってくれという。代父は母親の親族から出すのが通例だが、ヴィッキーには養母しかいなかった。あなたなら真面目だから大丈夫と言われ、なんと、ロシア正教会の主教と面接して了解を得た私は、娘リディアの代父として式に立ち会った。幸い、彼女は医者として大成した。私にとってジアンの絵皿は、近年先立ってしまった夫妻との記憶を呼び覚ましてくれる宝物だ。...
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