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「ゴッドファーザー」に見るスーツの歴史絵巻

服飾史家 中野香織

映画「ゴッドファーザー」が1972年に公開されて50年が経った。

その後公開された「PARTⅡ」、「PARTⅢ」も含めて、20世紀アメリカの「もうひとつの歴史」をイタリア移民の視点から描く3部作は、同時に、20世紀のメンズファッション史の一大絵巻にもなっている。

1901年から80年代までの流行を描くだけではなく、キャラクターが立場や状況によって着分けるスーツのバリエーションが豊富だ。72年公開の「I」、74年公開の「Ⅱ」、そして90年公開の「Ⅲ」の衣装デザイナーは異なるが、それぞれが徹底した時代考証とキャラクター分析に基づいてオリジナルなスーツを作っている。

各時代のスーツは、今見ても「クラシック」として魅力を失っておらず、スーツに対する新たな関心をも喚起する。実際、ニューヨーク最大の「組織」コルレオーネ・ファミリーの二代目、マイケル・コルレオーネを演じた身長約167センチメートルのアル・パチーノに威厳と迫力を与える40~50年代スーツに対する憧れは、現代日本においても根強い。あるテーラーは、「マイケルのようなダークスリーピース」を注文するお客様が常に一定数いる、と語る。

また、20世紀前半の米国に着想を得たメンズファッションを現代的な解釈で作るブランド「アジャスタブル・コスチューム」は世界中から「ゴッドファーザー」に着想を得たスーツや小物の注文を受けている。同ブランドはマイケルが「Ⅱ」で着るシルクシャンタンのスーツを現代風に再解釈したスーツを出したところ、70万円超の高価格にもかかわらず、すぐに2着売れたという。

身長の高くないアンチヒーローを永遠のスーツアイコンにしたという意味でも、映画発の新たなスーツトレンドを生み出しているという点でも、この映画はクラシックなメンズスタイルのカタログとしても稀有(けう)な存在感を発揮している。

マイケルのようにスーツを着たいという願望が生まれるのは、マイケルへの共感が深いからでもある。

シリーズのなかでもとりわけ「I」は、マイケルという一人の人間の成長物語として神話的なニュアンスを帯びている。家業を継ぐ気などなかった帰還兵としての初々しい青年期から、父を守ろうとする過程で否応なく成長していく。大人の男性への通過儀礼を経て闇の世界に不本意にも巻き込まれ、ファミリーの長として覚醒し、苦渋の決断を重ねて貫禄ある「ゴッドファーザー」の地位に就くまでの「心の旅」には、古今東西の物語の主人公に通じる普遍性がある。

ちなみに、「Ⅱ」は若かりし頃のマイケルの父、ヴィトーが力を手に浮上する様を、「Ⅲ」は絶大な権力を握ったマイケルが孤独と苦悩を深めていく晩年を描きだす。

アンチヒーローの心の旅を、雄弁に語るのが衣装である。「I」の最初のシーンで、マイケルは勲章をつけた帰還兵の制服姿で米国の英雄として登場する。選ぶスーツはボタンダウンシャツのアイビーリーグスタイルだ。それが、シチリアでの隠遁(いんとん)カジュアルから葬儀ルックを経て、クジャクの雄のようなダークスリーピースとホンブルグハットの盛装で周囲を威圧するまでに化ける。最後は「この場のボス」であることを示す、上着を脱いだサスペンダースタイルで、マイケルのゴッドファーザーへの道が完結する。

スーツは他の人物の性格も精妙に伝える。血の気の多い兄ソニーは、プリンス・オブ・ウェールズ・チェック柄のダブルスーツを華やかに。妹の結婚式で着るタキシードもダブルである。直情型で派手好きな気質を表すスーツは、後の災いの予兆とも見えてくる。

ファミリービジネスには向かない心優しい次兄のフレドは、開襟シャツの襟を上着の外に出すリゾート風味を取り入れた着こなしを見せることが多い。「Ⅱ」でも当時流行のカラフルな格子柄の上着をパーティースタイルとして着用。トレンドへの敏感さが、家業には向かない彼の浮薄な資質として描かれているのだ。妹コニーの夫カルロも、仕事を与えられない不満とプライドをもてあましていることがわかる原色のスーツで自己顕示する。

「Ⅱ」、「Ⅲ」においてもスーツは物語に深い意味を与える。「Ⅱ」のヴィトーが移民労働者からのぼりつめ、父の復(ふく)讐(しゅう)をするときに着る「リベンジスーツ」(写真右側中央)は、下襟が大きく丸みを帯びたシチリア風のスーツ。アメリカの移民社会で同郷のテーラーに作らせたものであると示唆する。また、「Ⅲ」で登場するマイケルの甥(おい)、ヴィンセントはダークカラーシャツをダークスーツに合わせる80年代特有のスタイルで暗躍し、マイケルとは異なる次世代の感覚を表現する。

この映画のスーツの魅力が色あせない理由のひとつは、マフィアやギャングが着るスーツだから、かもしれない。現実の米国史においても、マフィアのスーツアイコンは何人かいる。アル・カポネやジョン・ゴッティは「タイム」の表紙にもなった。闇の仕事を隠し、表社会では成功したビジネスマンのように振る舞う必要があったので、ともすると装いが完璧以上に洗練されるのだ。影や緊張感、暴力性を隠したスーツやコートの迫力や色気は、清潔感あふれる正しいビジネススタイルではなかなか漂わせることはできない。

壮大な3部作の虚構のなかで展開するドラマティックなスーツの盛観が、もはやスーツそのものがマイナーになりゆく21世紀のスーツ市場を活性化させる一つのきっかけになっているのは、なんとも皮肉な幸運である。

[NIKKEI The STYLE 2022年11月20日付]

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