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高級アルパカで作るニット 南米先住民への思い乗せて

NIKKEI The STYLE

「ファッションで社会を改革する」。そんな大きな目標を掲げる兄弟がいる。最上級のアルパカ素材でニット製品を手がける井上聡(さとる)さん(44)と清史(きよし)さん(42)だ。ブランド名は「ザイノウエブラザーズ」。真摯な仕事をするという誓いをこめて本名を使った。

アルパカは南米原産のラクダ科の動物で、コロンビア、ペルー、ボリビア、チリなどの高地で放牧されている。1日の寒暖差が大きく厳しい気候に鍛えられたその毛は、保温性や放熱性にすぐれた高級素材だ。

聡さんと清史さんは、日本人の両親の下、デンマークのコペンハーゲンで生まれ育った。当時一家が暮らした地域には他にアジア人がおらず、差別に悩む日々を過ごしたという。有名ガラスブランドのデザイナーだった父は、リストラ対象になった部下の職人らの代わりに工房を辞めるような正義感の強い人物で、44歳で他界した。「人を思いやる父の生き方から強く影響を受けた」と2人は語るが、残された家族の生活は苦しく、聡さんが描いた絵を清史さんがTシャツなどにして級友に売り、修学旅行代を稼いだことも。これが創造でビジネスする出発点となった。

大人になった兄弟は、グラフィックデザイナーとヘアサロンのアートディレクターとして成功を収めたが、「商業的な仕事に疑問も感じていた」。米同時テロが起こるとデンマークでも移民排斥を訴える政党が台頭するなど社会の不寛容が増した。そんなとき、有名アーティスト集団が「移民たちよ、デンマークを去らないでくれ!」と書いたポスターを街中に貼り、キャンペーンを展開。「デザインにはメッセージを伝え、社会を変える可能性がある」と刺激を受け、2004年、ソーシャルデザインスタジオ、ザイノウエブラザーズ(以下、TIB)を設立した。

アルパカと出合ったのは、南米の先住民支援に取り組むデンマーク人の友人の誘いで、ボリビアを訪れたときだった。商品になると高額なのにアルパカを飼育し、毛を売って生活する先住民は貧しい。「世界一のアルパカニットを作り力になりたい」と考えた。

ボリビアでニットを生産するなかで、ペルー南部・プーノ県にあるパコマルカ・アルパカ研究所の存在を知った。所長のアロンゾ・ブルゴスさんは、1980年代から高品質なアルパカ繊維の安定的な生産や先住民の生活水準の向上に努めていた。良質な毛の取れる純血度の高いアルパカを交配して育て、先住民に寄贈。高く売るために部位ごとに毛を仕分けるよう指導し、同じグループの工場が適正な価格で直接買い付ける計画などを立てていたが、ビジネスには至っていなかった。

そこに現れたのが井上兄弟だ。「最初は若いヒッピーが来たと思った。でも彼らはもうけることより歴史や文化に強い興味を持っていた」(ブルゴスさん)。2人は最上級のアルパカ繊維でミニコレクションを展開することを提案。大量生産を前提とする研究所の親会社と交渉し、希少で上質な糸が誕生した。

ひとつは「シュープリーム・ロイヤルアルパカ」。アルパカの毛は細いほど価値が高いが、この糸は極細といわれる18〜19マイクロメートルのロイヤルアルパカよりさらに細い16〜18.5マイクロメートルだ。次いでペルーに約300頭しかいないという黒アルパカの毛を使った無染色の「ナチュラルブラックアルパカ」。これらを使い、小ロットでストールやセーターを生産してパリや東京で発表した。

先住民に仕事を与えさえすれば貧困が解決すると思っていた兄弟は、ブルゴスさんの科学的で多面的な取り組みを見て「考えが甘かった」と知ったという。ブルゴスさんを「アロンゾ先生」と呼び慕い協働を続けている。

2010年、日本で初めてTIBの商品を買い付けたのが、セレクトショップ「ビームス」だ。「動物や先住民への愛情から質を向上させるという独特なストーリー。驚くほど高品質なのに価格は控えめで、彼らが本気で実直な社会起業家だと伝わってきました」。当時のプレス担当で、現在はアートとカルチャー事業を推進する「BEAMS CULTUART」のプロデューサーを務める佐藤尊彦(たかひこ)さんは、そう振り返る。

「差別や貧困のある世界を本気で変えようという信念が製品という形で受け継がれるのが最大の魅力」と佐藤さん。ビームスの買い付けは現在、初年度の約10倍。広告も打たずセールもしないが毎年ほぼ完売する。兄弟への共感は確実に広がっている。

聡さんには忘れられない思い出がある。ボリビアで靴磨きの子供に声をかけられた。同情して料金の十数倍のお金を渡すと少年は礼を言って受け取り、仲間とお金を分かち合った。「僕らはビジネスに関わる人が正当な対価を得られるようにしたい。突き詰めるとヒューマニズムに行き着きます」

TIBは現在、日本と清史さんが暮らす英国を拠点とし、春夏はオーガニックコットン、秋冬はアルパカ製品を展開するほか、東日本大震災の被災地の生産者と「メイド・イン東北コレクション」を作ったり、パレスチナ人とイスラエル人によるブランドを支援したり、幅広く活動している。世界を変えることは簡単ではないが、彼らの信念は未来に希望を抱かせてくれる。

ライター 安田薫子

中岡詩保子撮影

[NIKKEI The STYLE3月5日付]

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