芥川賞作家・黒田夏子さん 抱き続けた文学への思い
こころの玉手箱
初節句の紙のおひな様
初節句というのは、生まれ日によってまだ寝がえりもままならなかったり、ほとんど満一歳が近かったりと差が大きいが、どのみち当の赤ん坊には記憶のないうちの祝いごとになる。
八十年あまり昔に母が作った紙のひなは、「ベビーブック」という冊子の"初のお節句"の頁(ページ)に貼ってあったのを、はるか後年にそこから取りはずして額に入れ、以来三月には棚に飾る習わしとなったものだ。
あふれる花束をかかえて立つ幼児に右上と左下から小鳥が飛んでくるシルエットと、それを額ぶち状に囲む飾り枠とを浮き出しにした革まがいの表紙の「ベビーブック」なるものは、同じ図柄が白っぽい地にオレンジ色で刷られている函(はこ)に"愛児の発育記入帳――赤ん坊から入学まで"とあるように、子をめぐるさまざまな記録を親が書きこんでいくための製品で、実業之日本社定価二円、初版は一九三三年だがその一九三六年十月の九刷、表紙うらに松屋呉服店のシールがあるから、親がそこで翌年出生予定の子にと購入したのだと思われる。
武井武雄・長谷川露二による、各頁みな異なる装画で記入しやすいようにこまごまとくふうされた青とオレンジの二色刷が百頁ほどあり、"初めて着た産着"という頁の枠には、当時モスリンとよんでいたごく薄手の毛織地の切れはしが貼りこまれていたりもする。
そのあとの六十頁ほどは通常の黒い活字になっての"育児要覧"で、種々の実際的対処法や献立例などが戒めまじりに詳述され、また、奥付以後の広告頁の、与謝野晶子・岡本かの子・吉屋信子といった名に時代の空気がうかがえる。
もともと全項目うめてあるわけではないのが後半まったくとだえるのは、記入者が三年目には寝ついてしまい、五年目には他界したためだ。
当の赤ん坊がこれを手にしたのがいつかはあいまいで、小学生は手書き文字を読みわずらい、読めるようになった時分にはあけくれが気ぜわしくて、けっきょくその"初めて鰈(かれい)を食べ"た年月日などという細目を通読したのは老年だったということになるのだが、そんなおぼえのない些事(さじ)を書きとめられた日があり、おぼえのない紙のひなを贈られた日があったことを、ともあれ幸運な出発だったと思えるのが、すなわち老年の幸運でもあるのだった。...