森麻季さん ドミンゴさんに学んだオペラ歌い続ける幸せ
こころの玉手箱
「神様」ドミンゴさんとの出会い
イタリア・ミラノの国立ヴェルディ音楽院留学中の1998年、ドイツ・ハンブルクで開かれたプラシド・ドミンゴ世界オペラコンクールに出場した。有名歌手の名を冠したコンクールは数多くあるが、この大会は他とは全く違った。
予選からドミンゴさん本人が会場に来て「頑張って」と言葉をかけてくださる。若い歌手には神様のような存在だ。会えただけで感動なのに、全出場者の歌を聴く。1次敗退者にも「君はこの作品をレパートリーにした方が良い」「先生を紹介するよ」と助言をくれる。皆がハッピーになれるコンクールだった。
2次予選で、確かベッリーニ「清教徒」のアリアを歌った後、ドミンゴさんがアドバイスをくださった。「いろんな役が来て無理をしたくなることもあるかもしれないけど、君のようなデリケートな声はレパートリーに気をつけて声を守っていかなくちゃ」。この教えは、私の指針となった。
本選で私は3位、ソプラノではトップに入ることができたが、さらなるハッピーが待っていた。「今度『後宮からの逃走』をやるけど、君にブロンデ役が合うと思うんだ」。彼が芸術監督を務める米ワシントン・ナショナル・オペラに誘ってくれたのだ。米国デビューにつながり、欧州でも歌うきっかけとなった。
ワシントンで目の当たりにしたドミンゴさんの働きは超人的だった。あるときの演目はワーグナーの大作「パルジファル」。出番の少ない私でも、舞台に立つだけでへとへと。だが彼は主役を歌い、翌日は別のオペラで指揮を振る。夜は必ず、若い歌手を連れ食事に行く。しかも「これからヤンキースの試合を見にニューヨークへ行こう」とまで言い、結局一人で出掛けた。公演が休みの日には事務所でスポンサーとの面会など運営面の仕事をこなし、海外に飛んでまた歌う。
有名になると気難しくなる音楽家は多いが、全くそんなところがない。2002年、日韓ワールドカップに合わせ開催された三大テノールの公演にご一緒した際には、カレーラスさんとパヴァロッティさんに「楽しくやろうよ」と声を掛けていた。パワフルなだけでなく、気遣いの人でもある。2年前にお会いした際には「すっかりおじいちゃんだ」とおっしゃっていたが、いつまでもお元気でお歌いになってほしい。...