/

この記事は会員限定です

国文学者・伊井春樹さん 源氏物語に魅せられた人生

こころの玉手箱

(更新) [有料会員限定]
いい・はるき 1941年愛媛県生まれ。大阪大学名誉教授。大阪大学大学院教授、国文学研究資料館長、阪急文化財団理事・逸翁美術館長を経て、現在は愛媛県歴史文化博物館名誉館長を務める。著書に「人がつなぐ源氏物語」など。

ボーイスカウトの手帳

小学校に入学したのは1947年4月、教科書がカタカナからひらがなに切り替わった最初の年であった。カタカナの絵本を読んでいた私に、親が急にひらがなを教えたのを覚えている。

中学校に入学した年、母は私をボーイスカウトに入団させた。内向きの性格だったため、体力をつけ、活発にさせようとの思いからだったようだ。愛媛県宇和島市和霊隊である。宇和島東高校を卒業するまでの6年間、熱心に活動を続けた。このころの体験は、私にとって心身ともに大切な宝物となったと思う。

12歳の少年にとって、ハイキングやキャンプといった集団生活は初めてのことだけに、すべてが新鮮で驚きでもあった。カーキ色の制服、ネッカチーフ、キャップ、半ズボンに長い靴下という姿である。現在からすれば質素で、すべての団員が揃(そろ)えているわけではなかったが、戦後の影がまだ残る社会においては、いずれも明るく、強い団結で結ばれていた。

入団した年の5月に、初めてのキャンプを体験する。列車で少し行った先の法華津峠である。30人ばかりの参加者で、私など新人は、薪を拾い、水汲(く)みをする。小さな湧き水の出る水溜(た)まりが一つだけあり、飯盒(はんごう)に水を汲んでいると、班長だっただろうか、「ボウフラは、避けて水を汲めよ」と指令される。そのことばは、今でも鮮明である。当時は、鷹揚(おうよう)な時代だった。

しばしばなされる早朝訓練、7、8人からなる班独自の活動もあった。手旗、結索(ロープの結び方)、人工呼吸法、火の焚(た)き方、水泳、歌、行進などがなされる。マッチ2本と薪が与えられ、飯盒の水を沸かす競争もあった。三脚を組み、うまく火を点(つ)けなければならない。

56年8月に、第1回日本ジャンボリー大会が軽井沢で催された。国内外からの参加もあり、私たちはフィリピン隊とキャンプを張った。上皇さまが皇太子時代に、視察にも訪れた。

それから60年、そのころの仲間を中心に同窓生10人ばかりが、残軀(ざんく)会(伊達政宗の漢詩による。長子・秀宗は宇和島藩初代藩主)と称し、年に2回、各地の温泉めぐりをしている。今は、コロナのために中断しているのが残念だ。宿では、しばしば中学生のころの、ボーイスカウトの思い出話にも花が咲き、無性に懐かしくなる。...

この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。

残り3412文字

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連企業・業界

企業:

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン