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東日本大震災で傷ついた酒蔵の男山本店、復活へ苦闘11年

仕事人秘録 震災を乗り越えて先へ(1)

NIKKEI BUSINESS DAILY 日経産業新聞

3月11日で東日本大震災から11年となる。宮城、岩手、福島の3県では多くの企業が津波の被害を受け、復活に向けて苦闘している。宮城県気仙沼市の老舗酒蔵、男山本店の菅原昭彦社長は気仙沼商工会議所の会頭も務め、自社と地元経済の復活を主導してきた。現在までを振り返ってもらい、災害リスクを抱える全国の経営者にとっての教訓を探る。

「ただごとじゃないぞ」

地震の瞬間は海のすぐそばにあった本社にいました。「スカイプ」を使ってオンラインで開いていた酒造組合の会議が終わって、間もなくだったことを覚えています。

一部は耐震補強していましたが古い建物だったので危険だと思い、外に出ました。向かい側の公園で揺れが収まるのを待っていると津波警報が出ます。防災無線が「最大6メートル」と言っていたのが10メートルに変わり、ついには鳴らなくなります。「これは、ただごとじゃないぞ」と感じました。

社屋の奥には自宅があり、そこに両親がいました。助けに戻り、二人を連れ出します。津波が来るまで何分か余裕があると思い、印鑑やレジスター、手提げ金庫などを持って逃げる準備をしました。

そうしているうちに、父がいないことに気づくのです。近所を探すと、父は海を見に行っていました。「大丈夫だ。潮が引いていないから、大した津波は来ない」と言って逃げようとしません。それでも私はすぐに津波が来ると考えて、無理やり自動車に引っ張り込みました。父が後に「首根っこをつかまれた」とまで言ったほどです。そんなことはしていませんが、車に押し込んだことは事実です。

社員が持ち出した記録ディスク

15人いた社員には海から約200メートル離れた高い位置にある酒蔵へ逃げるように指示し、父を連れて最小限の貴重品を持って逃げました。このとき社員の1人は取引データをバックアップしていた記録ディスクを事務所から持ち出して避難しました。これが後に、本当に助かったのです。

道路は渋滞していましたが、なんとか酒蔵まで車を走らせます。それでも「酒蔵の高さでも危ないんじゃないか」という話になり、さらに山の方へ車や徒歩で逃げました。そのうち、道を津波が上ってくるのが見えてきます。

津波が何度も押し寄せる海を見下ろしながら考えたのは「とにかく生き延びなければならない」ということばかりでした。低地にあった本社は津波で損壊しましたが、会社の将来や仕事など、先のことは何も考えられませんでした。当時、携帯電話で撮影した動画が残っています。「うち、もう店ねえもん。それどころでねえ」「うちもそうだ。みんなだよ」など、一緒に避難した人と話していました。

夜になると湾内で火の手が上がり、気仙沼一帯で火災が起きます。車の中でテレビをつけると「気仙沼が燃えています」と映像が出ていました。「これ、どこの話なんだよ」と思うばかりでした。

山の奥の方が明るくなり、火事が起きていることは明らかでした。「ここに火が迫ってきたら、どうしようか」。社員にどんな指示を出せばいいか一晩中、そればかり考えていました。実際の火災は遠かったのですが、深夜には火がとても近くに見えます。山の向こうで火の手が上がり、破裂音が何度も聞こえる光景を忘れることはできません。

その日、妻は娘の中学校の卒業式の練習に付き添っていて、安全は早くに確認できました。家族と社員は無事でしたが、避難してきた周囲の人からは「気仙沼は全滅だ」という声も聞こえてきます。身を守ることで精いっぱいで、酒蔵の将来について考える余裕などありませんでした。家族と社員の命をどう守るか。そのことに悩む一晩でした。

避難しながら「これだけの大津波なら、酒蔵も駄目かもしれないな」と思ったこともありました。しかし実際には、酒蔵に入る門の手前ギリギリで津波は止まったのです。

酒蔵ができたのは大正元年(1912年)で、建てたのは私の曽祖父である男山本店の初代社長です。彼は1896年に起きた「明治三陸地震津波」を経験しました。それを踏まえて、建設場所に高台を選んだのでしょう。酒蔵の手前で津波が止まったのを見た父は「これは偶然じゃないんだ」と話していました。

そして夜が明けます。3月12日の青空は本当にきれいで忘れられません。夜には雪も降っていましたが、翌朝は晴れ渡り、最高の快晴でした。それを見上げたとき初めて「なんとか助かったんだ」と実感したのを覚えています。

酒蔵に防災物資

当時を振り返り、もし同じ事態が起きても「より高いところへ逃げよう」と社員に呼びかけ、同じ行動を取ると思います。それでも災害への備えは大きく変わりました。本社は低地から高台の酒蔵に移し、貴重品はそこに置いています。低地でいるときに地震が起きても「身一つで逃げればいい」という安心感があります。これは大きいです。

酒蔵には事業継続計画(BCP)の一環として防災物資を備えるようにしました。震災当時に最も困ったのが電気でしたので、小型発電機と飲料水、食料、タンクに入れたガソリンを備蓄しています。もともと酒蔵には酒造スタッフの宿舎という役割もありますので、いざとなれば社員が泊まることもできます。

事業を再開するに当たって、最も大事なのは取引データでした。社員が避難の際に持ち出してくれた記録ディスクや私が持って逃げたノートパソコンには3月10日時点の売掛金など各種データが残っていました。そして手提げ金庫には偶然ですが、2月末段階の支払書類などが入っていました。現金が入っているよりも幸運だったと思います。

これらが残っていたことは、事業を再開する大きな助けとなりました。会社を存続させるために設備が重要なのは当然ですが、同じぐらいデータも大切です。いまはクラウドで重要データをバックアップできます。繰り返しになりますが、3月10日のデータは本当に貴重でした。全国の経営者の皆さんには、一定のコストをかけてでもデータを遠隔地に保管しておくことの重要性をお伝えしたいです。

「他人事」の意識にリスク


東京都内の在住者から「なぜ東北沿岸部の人たちは津波を経験しても街を捨てず、再建して住み続けるのか」と問われたことがある。一方で首都圏には直下地震のリスクを抱えながら、多くの人が住んでいる。そもそも災害に無縁の土地は存在しない。本当に危険なのは防災を「他人事」にとらえてしまう意識だ。

菅原社長の話からは、災害の教訓を伝える難しさが読み取れる。「地震後に潮が引いたら津波が来る」と伝わっていたが、同時に「潮が引いていないから大津波は来ない」という判断も生まれてしまった。非常時に、物事を都合良くとらえて「大したことではない」と思いがちな意識は「正常性バイアス」ともいわれる。最悪の事態を想定し、行動することは非常に難しい。

男山本店を救ったのは明治三陸地震津波を踏まえ、その到達点よりも高い場所に酒蔵を建てた初代の判断だった。企業が本社や工場を建てる際には交通の便など多くの判断要因がある。過去にどんな災害が発生し、どれだけの被害を受けたか調べることも重要だ。その行動と判断が、企業の持続可能性を左右する。
連載では次回からも菅原社長が様々な困難を経験する。そこから自社に取り入れられる教訓を読み取ってほしい。

(日経産業新聞副編集長 村松進)

=日経産業新聞「働き方面」で連載します。

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