女性起業家の資金調達は困難 金融庁チームの焦燥感
「資金調達は悲劇的に困難な状況」――。
金融庁が2022年に出した、スタートアップにおけるジェンダーギャップの報告書「スタートアップエコシステムのジェンダーダイバーシティ課題解決に向けた提案」が波紋を呼んでいる。創業後のファイナンスについて、世界的には「圧倒的に白人男性により支配されている」と指摘。それ以外の人が関心を集めるためには「膨大なエネルギーと時間が必要」とみており、特に女性起業家が投資資金にアクセスしづらい問題を掘り下げた。
日本ではスタートアップの資金調達額で上位50社のうち、創業者か社長に女性を含む企業が手にした額は2%しかない。起業家に占める女性比率は34.2%なので、もともとマイノリティーではある。それでも、会社を飛躍させようと思ったときに資金調達のハードルにぶつかっているのではないか。
金融庁の池田賢志チーフ・サステナブルファイナンス・オフィサー(CSFO)は「日本の人口比で見ると女性のほうがやや多いのに、まず起業をためらう環境があり、その後の資金調達額にも大きな偏りがある背景を分析しなければいけない」と語る。

これまで金融庁は、上場企業のあり方に大きな役割を果たしてきた。東京証券取引所と15年に策定したコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)は改訂を重ね、女性にも着目。取締役や管理職のダイバーシティー(多様性)について要請している。機関投資家の責任については、日本版スチュワードシップ・コードがある。日本全体の投資を巡るエコシステム構築において、投資が持続的なリターンを生み出すという文脈でコーポレートガバナンス向上を図ってきた。
ただ、未来の日本を考えると、今から成長していく未上場企業をもっとケアする必要がある。これまで入っていなかった観点として、スタートアップにおけるジェンダー問題を取り上げることとなった。
従来は既存の企業で女性の昇進を阻む「ガラスの天井」を破ることが主眼だった。一方、女性が自分で会社を興して経営者になれば天井は存在しないのか。そこにも不合理な壁が立ちはだかるなら、原因究明と対策は必須だ。
声を上げた金融庁の若手・中堅
金融庁による異色の報告書を仕上げたのは、若手・中堅チームだった。霞が関の中央官庁で広がりつつある、「政策オープンラボ」という枠組みを使った。官僚が自らテーマを設定して有志で集まり、おおむね業務時間の2割程度まで、その活動に当てられるというものだ。今回のチームの場合は6人で結成し、池田CSFOがメンターとして付くことになった。

チームの核となる「課長補佐」は、一般企業の感覚だと分かりづらい印象もあるが、日本の法律や制度をつくるうえで欠かせない役職だ。マクロ・ミクロ経済分析から各種審議会の舞台回し、国会対応として政治家向けのレクチャー資料づくりなど多忙を極める。その中でも「これまでの政策では埋もれていた課題に光を当てたい」と、理想を掲げて自発的に手を上げるのがこのオープンラボだ。
さらに、官僚機構の生え抜き主義には陥らないようにと心がけている。文字通り「オープン」になるよう、外部の意見を取り入れてきた。
このスタートアップについての研究を発案したのは、外部出身の任期付き職員だった小崎亜依子さん。野村アセットマネジメントや日本総合研究所を経て、20年11月に金融庁に入った(現在は独立)。まず環境対応と金融をつなぐための「サステナブルファイナンス有識者会議」の設置に携わったが、「もっと世間に知られていない問題としてジェンダー格差がある」と考えていた。
ただ、小崎さんには一抹の不安もよぎった。スタートアップ内でのジェンダー問題についてツイートした金融関係者の女性に対し、否定しようとする男性サイドからSNS(交流サイト)で暴言に近いコメントが寄せられていた。こうした問題を正面から扱うとなれば、「我々の世界に首を突っ込むな」などとバッシングを受ける可能性もある。
それでも、新しい世界をつくるはずのスタートアップで、旧態依然とした課題を内包した状態を是とするのか。確かに起業には苦難がつきものだが、性別に起因したアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)は理不尽な環境を築いてしまう。小崎さんは自問自答を繰り返し、やはり前進への一助になりたいと意を決した。
「起業のエコシステムについて、発言すべきことは実際に声にしないといけない」――。その呼びかけに、金融庁総合政策課のメンバーが応じていった。
米国でさえ女性起業家にバイアス
金融庁チームはベンチャーキャピタル(VC)や起業家らにヒアリングしたり、国内外の文献を調べたりしていった。女性起業家に対するバイアスは、スタートアップ先進国の米国でさえ実際の資金調達に影響していた。例えばピッチコンテストについて、189件のやり取りを分析した内容がある。

自覚しているかいないかは別として、男性の審査員が相手の性別によって質問を使い分けてしまう。男性起業家のプレゼンに対しては、規模拡大を前提とした質問をする傾向があった。「どのように顧客を獲得するつもりですか」などと、事業の成長について前向きなものが多い。
一方、女性起業家に対しては「顧客をどう維持するのですか」などと、そもそもスケールアップより現状維持を前提にした保守的な問いが多いようだ。そのように聞かれたら例えば「当社サービスからサブスク会員が離れないようにケアします」などと守り重視の回答になりやすいだろう。目指す将来像を語る時間は減り、顔の表情は硬くなるかもしれない。
「ブレークイーブン(損益均衡)を達成できているか」といった質問に対しても、「まだ赤字ですがあと3期程度をメドに……」などと起業家が守勢に回りやすい。特にディープテックの領域で研究開発先行の事業モデルの場合、創業後に赤字続きとなることは珍しくない。質疑応答は限られた時間なのに、その弁明から始めないといけない。
もちろん投資家サイドは財務状況について気に掛けるのが仕事だが、男女平等に質問しなければフェアではない。実際に前向きな質問をされた起業家のほうが、保守的な質問をされた起業家より圧倒的に高い資金を獲得したとの分析結果が出た。
これは社会心理学者の提唱した「ハロー効果(後光効果)」が、ネガティブな方向に表れている。人間が何かを評価するとき、目立つ特徴に引きずられて全体像を決めつけてしまう現象だ。しかも今回の分析では相手が女性の際、あえて否定的な特徴を引き出そうとする傾向があった。そこには、自らの思い込みに反する証拠を心理的に受け付けない「確証バイアス」も働いているという。
米国でもこうした課題が多い中、日本が放置するのは危険だ。スタートアップを支援する米CIC(ケンブリッジ・イノベーション・センター)の日本拠点、CIC Tokyo(東京・港)でゼネラル・マネジャーを務める名倉勝氏は金融庁にこう答えている。
「スタートアップを支援している側がジェンダーを含めたダイバーシティーの現状について強い危機意識を持たなければ、グローバルマーケットで成功するスタートアップが次々と生み出されるようなエコシステムを構築することはできない」。CIC Tokyo主催のイベントでは、登壇者のうち女性やマイノリティーの比率を50%に近づけることを目標にしている。
「男女格差解消」が抜け落ちた5カ年計画
せっかく金融庁の若手・中堅が勇気を出してリポートを公表しても、他省庁もこの問題を真剣に捉えなければ国全体を動かせない。
岸田文雄政権はアベノミクスに続く独自色を打ち出そうと、22年11月に「スタートアップ育成5カ年計画」を打ち出した。ユニコーン(企業価値10億ドル以上の未上場企業)を現状の約16倍の100社へ増加させる壮大な絵を描いている。
ところがこの5カ年計画では、経済全体の課題として同政権が掲げてきた「男女格差の解消」がほぼすっぽりと抜けている。男性のほうが起業しやすい環境を国が是認し、「ハードな創業期の経営は育児と両立できない」との雰囲気を温存してしまうと、10年後の日本はどうなるか。スタートアップも、従来の大企業のように「女性が活躍しにくい場」となり、日本の再成長を阻害するという事態となりかねない。

これから毎年度の予算編成時、「どんな要件で国がスタートアップを支援するのか」という制度設計が鍵を握る。今まで女性起業家への支援策があっても、スケールの小さい業態を想定したものが多かったという。もちろん商店街で店を開くのも地域経済にとって重要だが、スケール拡大の際に資金調達できないことはスタートアップ支援の根幹にかかわる問題だ。政府内でも女性の経営者像について、アンコンシャス・バイアスがある可能性がある。
今回の報告書では「現在の延長線上での支援の枠組みが続けば、これまでの構造が温存されたまま、拡大していく可能性が高い」と指摘した。
改善していくためのヒントはある。「ことさら女性の妊娠・出産をリスクとして捉えず、男性起業家も病気やトラブルがあるから平等だと考えるVCもある。そうしたVCは、多様性こそリスク分散に資するとの思考で投資している」(金融庁関係者)という。
例えば官民ファンドが民間のVCにLP(リミテッドパートナーシップ)として出資する際、そうしたジェンダーの視点をKPI(重要業績評価指標)に設定することも可能だろう。また、資金調達に困っていた女性起業家がどの程度まで事業を成長させると民間マネーにもアクセスしやすくなるのかも調査が必要だ。国の予算配分は社会へのメッセージなので、将来の理想像から逆算した政策が欠かせない。
(日経ビジネス 小太刀久雄)
[日経ビジネス電子版 2023年3月22日の記事を再構成]
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