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量子コンピューター最大の壁 「エラー訂正」実現目指す

日経サイエンス

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藤井啓祐・大阪大学教授

今や「量子コンピューター」という言葉を、新聞や雑誌で見ない日はないくらいである。IT大手や各国の研究機関が開発にしのぎを削り、クラウドで量子コンピューターをプログラムして計算結果を受け取ることもできる。しかし、量子コンピューターの一大ブームとも言える現在の状況は、私を含めこの分野の研究者たちにとっては予想外であった。この段階の量子コンピューターがここまで広く話題になるとは、まったく想像していなかったからだ。

理由は、現在実現している量子コンピューターは、実用的な問題を解くという点では、いまだスーパーコンピューターに勝てていないからだ。こう言うと、3年前にグーグルの量子コンピューターが世界最速のスパコンを打ち負かしたではないか、と思う人もいるだろう。だが、あれは量子コンピューターにとって圧倒的な有利な、特殊な問題を計算させる競争であった。それ以外の一般的な計算では、今でもスパコンのほうがはるかに速い。

なぜだろうか。実は、現在の量子コンピューターの基本素子である量子ビットはノイズに弱く、計算中にエラーが起きやすい。コンピューターは一般に計算の基本的なステップを何万回も繰り返すことによって計算を進めるが、量子コンピューターは、現在最高性能の量子ビットでも、数千回に1回程度はエラーを起こす。例えば50量子ビットの量子コンピューターで合計1000ステップの計算をしたら、約63%の確率でエラーが起き、正しい答えが得られない。

計算中に生じるエラーを訂正しながら正しい結果を得るには、計算に使う量子ビット以外に、エラー訂正をするための膨大な数の量子ビットが必要になる。そのため量子コンピューターチップには、最低でも100万量子ビットを集積する必要があると見積もられている。現在はせいぜい100量子ビットだ。

とはいえ、何も計算できないわけではない。ここ数年、現在の小規模な量子コンピューター「NISQ(エラーのある小・中規模の量子コンピューター)」を、エラーを許容しつつ活用していこうという新たなアプローチが登場した。このNISQで、通常のコンピューターに比べて圧倒的に優位となるキラーアプリケーションが見つからないとも限らない。

しかし物理法則が許す最強のコンピューターによって計算の爆発的な加速を実現するという究極の目標を実現するのは、NISQでは困難だ。例えば効率のよい触媒の開発や光合成の原理の解明、新素材の開発などの強力な武器となる物質のシミュレーションは、量子コンピューターなら計算が爆発的に速くなることが証明されている。また、特定の条件を満たす連立方程式の解を見つける問題や先述の素因数分解、膨大なデータを扱う人工知能やデータ科学の計算も加速できるだろう。これらの問題を解くには大量の計算ステップが必要で、エラーを訂正しながら計算を続けることのできる誤り耐性量子コンピューターが不可欠だ。

量子コンピューターのこうした高速性の根源は、実は、量子コンピューターがアナログコンピューターであることに関係がある。アナログコンピューターの中には、自然界を記述する物理法則の計算能力を利用するものがある。自然界の物理現象の多くは数式によって記述されるので、その数式に自分が解きたい問題をうまく埋め込むことができれば、実験で物理現象を再現しそれを測定することによって、問題の答えが得られる。

量子コンピューターは、0と1というデジタルな量を量子力学的な重ね合わせにした連続的なアナログ情報を量子ビットに記憶する。そしてこの重ね合わせの状態を量子力学に従って連続的に変化させることで計算を進める。まさに量子力学という物理法則の計算能力を利用して計算するアナログコンピューターだ。

実は、無限に高い精度で計算ができるアナログコンピューターがあれば、量子コンピューターでどうにか解ける問題をも超える、究極的に難しい問題が簡単に解けることが数学的に証明されている。物理的に実現できるかどうかを別にすれば、アナログコンピューターの計算能力は極めて高い。

だが、今のコンピューターはすべてデジタル方式だ。かつて使われていたアナログコンピューターが消えた最大の理由は、ノイズに弱いという弱点のためだ。情報を表すアナログな値がノイズの影響で微妙にずれてしまうと、そのズレがエラーなのか、それとも正しい情報なのか区別できない。

0と1というデジタルな値であれば、それを示す電圧がノイズの影響で多少揺らいだとしても、0は0、1は1だと判断できる。デバイスごとにちょっとした違いやノイズが生じても、同じ結果を得られるのだ。このノイズ耐性のおかげで、デジタルコンピューターはアナログコンピューターに取って代わった。

量子コンピューターにとっても、アナログノイズは深刻な問題だ。だが量子コンピューターには、普通のコンピューターにはない際立った特徴がある。量子力学の世界では、0と1が重ね合わせになったアナログ量は、測定することによって重ね合わせが壊れ、0または1のデジタル量にジャンプする。測定の仕方を工夫することで、情報の重ね合わせは壊さずに、アナログエラーの重ね合わせのみを壊してデジタル化し、取り除く。これが、現在実装しようとしている量子エラー訂正の仕組みである。

誤り耐性量子コンピューターの実現には課題が山積みで、今なお道半ばである。しかし物理法則は今のところ、その究極の量子コンピューターを阻んでいるようには見えない。むしろ量子力学は、「量子コンピューターを作れ」と言わんばかりに、アナログとデジタルの世界を奇跡的に橋渡ししてくれている。実現には、少なくとも10年を超える基礎研究が必要であろう。それでも世界中の研究者がこの目標を目指して、先の長いマラソンを走っている。

(詳細は6月24日発売の日経サイエンス2022年8月号に掲載)

  • 発行 : 日経サイエンス
  • 価格 : 1,466円(税込み)

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