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「辛い」の科学 痛みがおいしさに変わるメカニズム

日経サイエンス

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カレーライスや麻婆(マーボー)豆腐を筆頭に、世界は辛くておいしいものにあふれている。辛くて刺激的な味は本来、動物に対して「食べてはいけない」という警告を与えるものだ。なのに、人間だけが辛いものを好きこのんで食べるのはなぜだろう。2021年ノーベル生理学・医学賞の受賞テーマになった、舌の奥深くにひそむ辛みセンサー「TRPV1(トリップ・ブイワン)」の発見から、私たち人間とスパイスの新たな関係が見えてくる。

「甘い」や「塩からい」といった味は舌の表面の味蕾(みらい)と呼ぶ器官で感じるが、辛みは舌の奥深くにある三叉(さんさ)神経の神経細胞で感じる。この細胞の表面に、辛みセンサーTRPV1がある。生理学研究所の富永真琴教授は「辛みは味ではない」と話す。トウガラシのカプサイシンがTRPV1にくっつくと、三叉神経経由で脳に情報が伝わり、痛みとして認識される。辛みとは、痛みなのだ。

21年のノーベル生理学・医学賞の受賞者の一人である米カリフォルニア大学サンフランシスコ校教授のデービッド・ジュリアス教授のもとで、当時実際に実験を行ったのが富永教授だ。感覚神経の細胞で働く1万6000種類もの遺伝子のなかから、TRPV1の遺伝子を突き止めた。ジュリアス教授と富永教授らは、TRPV1が辛みに反応すると同時に、セ氏43度以上の高温にも反応することも明らかにした。「辛さと熱さは英語で書けばどちらも"hot"だが、それを感じるセンサーも同じだった」と富永教授は話す。

TRPV1の性質が、辛いものを食べた時の私たちの体の反応と深く関係している。冷めたカレーより熱いカレーの方が辛く感じるのは、TRPV1が辛さにも熱さにも反応するからだ。辛いものを食べたあと、水を飲んでもヒリヒリした感覚が続く時は、脂溶性のカプサイシンが舌の内部まで潜り込んでTRPV1が反応し続けている。

インド料理店では辛い料理とともに冷たくて甘い乳飲料のラッシーをつけるのが定番だ。客が舌のヒリヒリ感を和らげようと思った時、ラッシーは口内を冷却しながら舌についた脂溶性のカプサイシンを溶かして取り除く作用があると考えられ、これは実に合理的な知恵といえる。

辛みは痛みなのに、辛い料理を好んで食べる人が多いのはなぜだろう。この謎にもTRPV1が関わっている。TRPV1を介して刺激を受け取った脳は体が負傷したと認識し、痛みの感覚を和らげようとしてβ-エンドルフィンと呼ばれる神経伝達物質を分泌する。β-エンドルフィンは間接的に脳に快感をもたらす物質だ。同じ経験を繰り返すと、β-エンドルフィン分泌の要因となった刺激は次第に好ましいものとして認識されるようになる。何度も食べるうちに慣れて、トウガラシを食べることが好きになる。

ただ、それだけが理由ならトウガラシの好きな哺乳類が他にいてもおかしくないし、慣れるまで食べ続ける動機もわからない。そこで注目すべきなのが、β-エンドルフィンが持つもう1つの役割だ。油脂や甘味を含むものを食べた際にもこの物質は分泌され、「おいしい」という快感を与える。

人間は、味付けされた肉や魚などと一緒に料理の要素の1つとしてトウガラシを食べることが多い。おいしさと痛みの情報が同時に脳へと伝わり、最終的にどちらもβ-エンドルフィンの分泌を引き起こす。味覚生理学を専門とする畿央大学の山本隆教授は「もともとおいしいと感じる料理が、カプサイシンの存在下ではさらにおいしく感じる相乗効果が起こるのだろう」とみる。

また、「辛いものを食べる文化」の中で育つこと自体が辛さへの耐性を生み出す。トウガラシ入りの料理を平気で食べている他の人が身近にいることで、辛いものへの警戒感が薄れていく。

世界中でトウガラシの刺激的な辛さが好まれるというこの不思議な現象には、多様な食物に手を加えて調理し、それを仲間とともに食べる、ヒトという動物の特徴がよく表れているのだ。

(日経サイエンス編集部 出村政彬)

詳細は3月25日発売の日経サイエンス2022年5月号に掲載

  • 発行 : 日経サイエンス
  • 価格 : 1,466円(税込み)

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