/

奈良の大仏造立からの鋳物会社 クラウド資金で改革

日経ビジネス電子版

奈良県香芝市の鋳物会社、五位堂工業は、創業家の先祖が奈良時代に東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ、大仏)づくりに関わったと伝わる。江戸時代は寺の梵鐘(ぼんしょう)、その後は農具などを手掛け、戦後は産業機械関連に転じた。鋳物にこだわりつつ、事業分野を変えながら生き残ってきた(文中の創業年などには諸説ある)。

日本鋳造工学会のホームページによると、鋳物は紀元前3000年ごろには既にメソポタミアでつくられていた。日本には鋳造技術が中国、朝鮮半島を経由して伝わり、弥生時代中期(紀元前100年~紀元100年頃)には国内でも鋳物づくりが始まったと考えられている。銅鐸(どうたく)や銅鏡などの製造を経て、奈良時代になると仏像や梵鐘などがつくられるようになった。

五位堂工業は売上高が約10億円で、社員が約30人。一見するとどこにでもある中小の鋳物メーカーのようだが、創業ファミリーである津田家は、ルーツが奈良時代に東大寺の大仏をつくった鋳物師にあるといわれている。

当時の詳しい記録などは残っていないものの、同社によると、江戸時代以降にできた「鋳物師国郡人別名簿」には、「奈良時代に東大寺の大仏造立の指揮をとった鋳物師の流れを汲(く)む」と記されている。ここから同社は大仏の工事が始まった天平17(745)年ごろの創業だとしている。

信金中央金庫の地域・中小企業研究所は「産業企業情報」で同社を国内で「千年超の業歴を有するとみられる主な長寿企業」の1社として挙げる。また専門書の『老舗企業の研究』に掲載の「老舗企業設立年表」(日本経済大学大学院の後藤俊夫特任教授が作成)においても、同社を1000年企業の1社だとしている。

創業期についての伝承は少なく、津田家に伝わる次のエピソードは、大仏建立から800年以上経過した慶長年間のことになる。鋳物にまつわるよく知られたエピソードとともに歴史に顔をのぞかせる。

慶長19(1614)年、豊臣秀頼は地震や火災で崩壊した京都市の方広寺の大仏殿などを再興。大仏の開眼供養の日程などを徳川家康の了承を得ながら進めた。しかし、家康サイドは鐘銘にある「国家安康」について、「家康」の名前を分けた「関東不吉之語」があるとして延期を命じた。

「方広寺鐘銘事件」と呼ばれており、大坂冬の陣の引き金の一つになったことからよく知られる。津田家はこの鐘の鋳造に関わった。同社によると、鐘をつくるために棟梁(とうりょう)を補佐する脇棟梁が各地から11人動員され、その1人が津田家からだった、という記録があるという。

地元の神社に残る鋳鉄製の鳥居

五位堂工業が今も本社を置く香芝市五位堂は古くから鋳物業で知られていた。この地で鋳物を始めたのは津田家といわれている。江戸時代の五位堂では津田家、そして同家から分かれたとみられる2つのファミリーの、合わせて3つのファミリーが鋳物を手掛けていた。地域の産業の中心であり、地区の半分ほどの住民が鋳物に携わるほどだった。本社に近い十二社神社には五位堂の鋳物師がつくった鋳鉄製の鳥居が残っている。

津田家が手掛けるのは奈良時代には青銅鋳物だったが、いつの頃からか、鉄の鋳物に変わった。江戸時代には奈良周辺の寺の梵鐘や灯籠の制作などを行い、鋳物職人を束ねる棟梁である「鋳物師(いもじ)」を務めた。享保15(1730)年には当時、各地の鋳物師をまとめていたという公家の真継(まつぎ)家から同職の許状を与えられた。

五位堂で鋳物を手掛ける3つのファミリーはお互いに協力関係を築いていた。津田家は幕末から明治時代の初めにかけて家業が厳しくなり、少しの期間、他のファミリーに仕事を任せていた時期もあった。生き残るために地域での協力関係は不可欠だった。

また、生き残るために、時代に合わせて製造する品物も変えていった。近世までは梵鐘を主につくっていたが、明治以降は農具や鍋釜などをつくるようになった。

その後、戦時中は砲弾などの軍事用品を手掛けた。そして、戦後間もない頃からは工業製品中心の鋳造に変えた。加工の精度に対する要求は厳しくなったが、事業を継続していくために乗り越えてきた。

長く個人事業だったが、1962年に株式会社化。現在の主力は船舶用ディーゼルエンジンの部品であり、建設機械向けや工作機械向けなどの部品も製造する。

同じ長寿企業でも、温泉旅館などの場合はもともとある資源を長期間生かすことができるが、製造業では技術革新がたびたび起こり、乗り越えなければならない。その分、事業の継続が難しい面があるとされる。本社を置く五位堂では、津田家以外の2つのファミリーは既に鋳物業を離れ、今も鋳物を手掛けるのは津田家の五位堂工業だけとなっている。

津田家宏相談役は子どもの頃、父に「長く続いているから、これを続けなさい」と言われながら育った。ゆかりのある寺の過去帳によると16代目になるが、その寺ができる以前の家業の歴史があるため、正確には何代目か分からないという。津田相談役は4人兄弟で、兄弟2人も社内の要職を務めた。残る1人も別の鋳物加工メーカーを経営し、鋳物との関わりが深い。

「長く続いている分、良いときも悪いときもあった。鋳物をつくるのは変わっていないが、それ以外は時代のニーズに合わせながらやってきた」と津田相談役は話す。銑鉄鋳物業は高度成長期に3000ほどあった事業所数が激減。縮小傾向は現在も続いている。生き延びるためには事業構造の見直しが欠かせず、津田相談役は自分の代で2つの大きな改革に取り組んだ。

1つは製造拠点の移転だ。長く香芝市五位堂でものづくりをしてきたが、奈良県の北西部に位置する香芝市は金剛生駒紀泉国定公園をはさんで大阪府に接しており、大阪のベッドタウン化が進んでいる。五位堂工業は静かな住宅地に立地しているため、本社の敷地が手狭になってきたものの、拡張が難しかった。そこで2010年に本社を五位堂に置いたまま、製造拠点を車で30分ほど離れた同県御所市の工業団地に移転。設備の増強で製造力を向上させると同時に生産システムを刷新して納期も短縮。多品種少量生産に積極的に取り組む体制をつくった。

もう1つはサプライヤーの多様化だ。競争力を高めるために、海外からの鋳物の調達にも取り組み、2001年に中国で合弁会社を設立。合弁は13年に解消したものの、技術供与などの協力関係を続けており、コストダウンを図りたい顧客をさまざまな形でサポートする。

クラウドファンディングで次のチャレンジ

社長を務める家仁氏は津田相談役の長男であり、21年2月に父から事業を引き継いだ。家仁氏は「新しい取引先の開拓などの場合、長く鋳物をつくっていることが会社の信用となり、評価していただいている。製造には先進的な設備や技術を導入。業歴、技術の両面によって仕事を任せてもらう」と話す。付加価値を高めるために、加工に手間がかかる形状の鋳物、高い耐熱性を持つ鋳物などにも取り組む。

五位堂にある本社は築300年を超える木造の建物であり、同社の歴史にまつわる史料などを保管している。製造以外の本社機能も大半を御所市の工場内に移したが、長く事業を続けた地元への思いは強い。家仁氏は「農機具などではかつて『五位堂鋳物』としてブランドになっていた時期がある。鋳物によって、再び地元を活性化したい」と意気込む。就任早々、かつて手掛けていた家庭用品の製造再開を決定。BtoCに取り組みながら町おこしを目指す。

日用品向けのブランドを開発するためにクラウドファンディングに挑戦すると、当初目標を超える135万円の資金が集まった。応募した人には多品種少量生産の強みを生かし、模様やロゴなどを入れた鉄の皿や鍋敷きなどを提供する。

家仁氏は「いろいろなことを変えてきたから続いてきたのだと思う。だからこそ、鋳物にこだわりながら、チャレンジを続けたい」と話す。

(日経ビジネス 中沢康彦)

[日経ビジネス電子版 2021年11月18日の記事を再構成]

日経ビジネス電子版セット

週刊経済誌「日経ビジネス」の記事がスマートフォン、タブレット、パソコンで利用できます。「日経ビジネス電子版」のオリジナルコンテンツもお読みいただけます。日経電子版とセットで月額650円OFFです。

お申し込みはこちらhttps://www.nikkei.com/promotion/collaboration/nbd1405/

初割ですべての記事が読み放題
今なら2カ月無料!

日経ビジネス

企業経営・経済・社会の「今」を深掘りし、時代の一歩先を見通す「日経ビジネス電子版」より、厳選記事をピックアップしてお届けする。月曜日から金曜日まで平日の毎日配信。

関連トピック

トピックをフォローすると、新着情報のチェックやまとめ読みがしやすくなります。

関連企業・業界

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン