恐怖と混迷のミャンマー 立ち尽くす日本企業

2021年4月のある晩、ミャンマーの首都ネピドーに住むミン・ナイン・ウー氏(仮名)はテレビのニュースにくぎ付けになった。自分の名前と顔写真が映し出され、軍事政権が指名手配したと報じていたからだ。
2月1日のクーデターで全権を掌握したミャンマー国軍は、これまでに少なくとも800人を超える人々を殺害し、4000人以上の人々を拘束した。ミン・ナイン・ウー氏は、SNS(交流サイト)で国軍の暴挙を世界に発信し、市民不服従運動(CDM)を積極的に支援した。これが当局の反感を買ったようだ。
拘束されれば命の危険がある。「逮捕者は『尋問センター』と呼ばれる場所に連行され、ひどい仕打ちを受ける」。民主派勢力が結成した「挙国一致政府(NUG)」のアウン・ミョウ・ミン人権担当大臣もこう指摘する。
ミン・ナイン・ウー氏はネピドーからの脱出を決意し、有力少数民族の影響下にある地域に向かった。追跡を逃れるため、幾度も車を乗り換えなければならなかった。少数民族武装勢力と国軍との戦闘が間近で勃発したこともあった。「銃弾の音が絶え間なく響き、至近距離で手りゅう弾や地雷が爆発する。生きた心地がしなかった」と同氏は振り返る。
国軍は民主派勢力を支持する少数民族の町や村に砲弾を打ち込み、空爆にまで踏み切った。「襲撃を受けていない村にも国軍の戦闘機やドローンが毎日のようにやって来る。住民はジャングルに逃げ込まざるを得ない」(少数民族関係者)。
都市から逃れた人々も含め、どれほどの人が難民となることを強いられているのか。実態の把握は難しいが、タイ国境に近い東部カイン州周辺だけで7万人以上の避難民が発生しているようだ。

恐怖がもたらした一時の平穏
一方、ネピドーやマンダレー、ヤンゴンといった都市部は少しずつ平穏を取り戻していった。「この調子でいけば経済も近く元通りになる」。日本企業の関係者の中にはこう楽観する向きもある。ただ抵抗運動が沈静化したのは、「目立った動きをすれば殺される」という恐怖が浸透したからにすぎず、「国軍への怨嗟(えんさ)の声は今も満ちている」(ヤンゴン在住者)。
実際、ヤンゴンでは爆発や銃撃事件が頻発するようになった。現地報道によると、最近では民間施設も狙われるようになっている。NUGは国軍の弾圧から人々を守るため「国民防衛隊」を発足させた。
国軍の弾圧を受け都市部を逃れた人々の一部は、少数民族武装勢力から軍事的な訓練を受けている。「ジャングルでの生き延び方に加えて、国軍に『反撃』するすべも伝えている」。ある少数民族武装勢力の幹部はこう話す。訓練を受けた人の一部が都市部に戻り、過激な行動に出る恐れはある。「近く反国軍勢力が一斉蜂起する」。都市部に住む人々の間にはこんな噂も駆け巡る。
現金不足も深刻だ。ATMには長蛇の列ができ、企業は一部を除きブローカーを通じて現金を調達せざるを得ない状況になっている。法外な手数料を取られるため「商売をすればするほど赤字になる」とある中小企業関係者はこぼす。以前は4000チャット程度だった鶏1羽が今では6000チャットするなど物価上昇も顕著だ。
経済の見通しは不透明だ。海外からの投資が滞ることが避けられない。「国軍系企業を中心に据え、中国やロシアなど親和的な国に頼りつつ天然資源や農産物を切り売りして外貨を稼ぐことになる」(日本政府関係者)。先行きの不透明さを受けてアジア開発銀行は4月、ミャンマーの22年の経済成長見通しを示すことを見送った。
米国や欧州連合(EU)は国軍に厳しい態度で臨んでおり、既に国軍関係者や企業に制裁を科した。ノルウェーの通信大手テレノールは巨額の減損損失を計上してミャンマー事業の価値をゼロにし、その上で人権尊重を軍政に求めた。5月に入ると仏トタルと米シェブロンが、ガス事業で軍政への支払いの一部を停止すると発表している。
一方、400社以上が進出する日本企業の大半は身動きが取れずにおり、日本政府も軍政に厳しい姿勢を取ることを避けてきた。
スズキやヤクルトは工場停止
5月中旬の段階で、スズキやヤクルト本社などの大手工場は生産を停止しており、建設工事なども止まっている。人件費など固定費は垂れ流しで早く事業を再開したいという思いが現場にはあるが、下手に動けない事情がある。
大きな懸念材料の一つが、軍政の経営への介入だ。これを象徴する出来事が、日本とミャンマー両国の官民で共同開発され、日本企業が多く進出するティラワ経済特区(SEZ)で起きた。ミャンマー政府はSEZの管理委員会を通じ開発会社の10%の株式を保有する。アウン・サン・スー・チー政権の経済分野のキーパーソンでもあった委員長はクーデターで国軍に拘束された。
5月に入ると軍政の指名を受けた新たなトップがやってきた。時を同じくして、入居企業への聞き取り調査が始まった。「今後の工場稼働の見通しや投資計画などを細かく聞かれた」(入居企業)。あるメーカーは生産設備の一部を国外に移そうとしたが、軍政に輸出を止められたという。
ミャンマーで事業展開する以上、軍政と無関係ではいられないが、唯々諾々と従っていては今度は市民や国際社会の批判を受ける。「早く事業を再開させたいが、そうするとNUGや非政府組織(NGO)の連中がうるさい」(大手商社現地関係者)。「我々は誰が国軍に親和的なのか、常に見ている」。あるヤンゴン在住のミャンマー人はこう話す。
日本と国軍との関係が近いという報道も相次いだ。真っ先に批判されたのは、国軍系企業と合弁でビール事業を展開していたキリンホールディングス(HD)だ。また国防省が所管する土地の再開発事業を手掛けていたフジタや東京建物、ヤンゴン近郊のバゴー橋建設事業で国軍系企業を下請けとしていた横河ブリッジなども批判を浴びている。KDDIの立場も厳しい。クーデター後、国軍の命令に従って通信規制を繰り返したためだ。
中国・新疆ウイグル自治区の問題もあり、企業が関係する人権問題への視線は厳しくなっている。日本企業も軍政に協力的だとみられれば、ミャンマー国内だけでなく欧米から強く批判されるリスクがある。
既にある企業は取引先の米国企業から「ミャンマーで生産された製品は受け取れない」と伝えられた。最悪の場合、制裁の対象になったり、人権団体などに提訴されたりする恐れもある。「日本企業は自分たちが糾弾されるリスクをもっと重く見るべきだ」。日本企業に詳しいあるミャンマー人企業経営者はこう指摘する。
ミャンマーに進出する大手企業の中にも、事業継続について慎重に見る向きはある。音響機器を生産するフォスター電機は今後の事業展開に不確実性が高まったとして、21年3月期決算で約9億円の特別損失を計上した。吉澤博三会長兼最高経営責任者(CEO)は「混乱が収まることは当面ないと考ている」と話す。
ただ多くの日本企業は、様子見の姿勢を続けながら事業再開の機会を探る。
国軍系企業との事業が批判を受けたキリンHDは既に国軍系企業への配当の支払いは停止しており、提携についても解消すると発表した。ただ「現時点で撤退することは考えていない」(コーポ―レートコミュニケーション部)という。
ビールの売り上げは急落しているが、足元では限定的ながら生産も再開している。事業を継続するには国軍系企業から株式を買い取る必要があり、結果的に国軍に資金が流れる恐れがある。これにどう対応するかは明らかではない。
国防省の土地で商業施設を開発するフジタは工事を中断し、開発している土地のサブリース料の支払いも止めている。ただ今後の対応については「関係者との協議のうえ検討する」(広報室)という。バゴー橋を手掛ける横河ブリッジも同様の姿勢だ。
官民一体進出のツケ
橋建設プロジェクトも商業施設の開発にしても、今後の方針は容易には決まらないかもしれない。前者は政府開発援助(ODA)の案件で、後者には政府系金融機関が資金を拠出している。
日本政府が関係するプロジェクトを手掛ける複数のゼネコン幹部は「政府が絡む案件だから自分たちだけでは何も決められない」と話す。ここに日本企業が抱えるもう一つのジレンマがある。
ミャンマーと日本との関係は深く、これまで様々な枠組みを通じ日本は経済援助に動いてきた。1988年の国軍による民主化運動の弾圧を機に円借款は原則停止されたものの、無償資金協力や技術協力は続いた。
2011年、軍政から横滑りする形でテイン・セイン氏が大統領に就任すると、その改革開放政策を日本が強力に支援した。12年には約3000億円の債権を放棄すると表明して円借款を再開した。その額は累計で1兆円を超える。政府の積極的な姿勢にメディアの吹聴も手伝って、民間企業の進出が相次いだ。

日本とミャンマーの協調を象徴するプロジェクトがティラワSEZだった。「テイン・セイン大統領と元郵政大臣の渡辺秀央・日本ミャンマー協会会長ら、日本の政治家との信頼関係がプロジェクトを成功に導いた」という声がSEZ関係者からは出ていた。
ミャンマーの民主化は途上にあり、スー・チー氏率いる政党が政権の座についても、国軍は強い権限を持ち続けていた。ただ民主化の道を確実に歩んでいるという明るい見通しに加え、「政府が後ろ盾になっているという安心感から日本企業は政治リスクに目をつぶるようになってしまった」とミャンマーの不動産会社幹部は指摘する。
企業は日本政府の出方をうかがうが、その方針ははっきりしない。茂木敏充外相はODAについて見直す方針を明らかにしたものの、「実際にODAが全て止まることはないと思う」とミャンマーの日本政府関係者は話している。その姿勢は軍政にも伝わるだろう。
日本政府がかつて焦げ付いた債権を放棄した際「誰もその責任を取ろうとはしなかった」(政策研究大学院大学の工藤年博教授)。政府も企業もどっちつかずの立場をいつまでも続けることはできない。
企業はミャンマーに貢献したいという思いで事業展開してきた。だが投資の前提は大きく変わってしまった。その現実にどう向き合うのか。方針をいずれ明確にしなければならない。
戦略転換を迫られる製造業
ミャンマーにおける民主化の後退は、アジアにおけるサプライチェーンにも影響を与える。「ミャンマーがダメなら次はどこか」。ある日系自動車部品メーカーの幹部はこうため息をつく。タイ拠点での人件費をはじめとするコストの上昇に悩まされ、国外に新たに製造拠点を設けることを検討していた。
その有力候補がミャンマーだった。日本や中国などの企業が殺到するベトナムなどに比べれば進出企業はまだ限られ、比較的低コストで労働力を確保できる。内需拡大も見込め、巨大市場であるインドにも近い。前向きな検討が続いていたが、クーデターで進出の可能性は一気に遠のいた。
「ミャンマーに代わる進出先の相談が増えている」。ドイツのコンサルティング会社、ローランド・ベルガーの下村健一アジアジャパンデスク統括はこう指摘する。ただ「最後のフロンティア」に代わる場所はもう見つからないかもしれない。
安価な労働力が確保できる国で大量生産した製品を輸出する──。この従来モデルには賞味期限があるとの見方は以前からあった。ミャンマーで起きたクーデターはこの期限の到来を一層早めることになり、今後は既存拠点の生産を効率化して競争力を高めていくことを迫られるだろう。
「最後のフロンティア」で起きた異変は、東南アジアに進出する多くの企業に戦略の転換を迫っている。
(日経BPバンコク支局 飯山辰之介)
[日経ビジネス 2021年6月14日号の記事を再構成]
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