/

気候変動、対策不備は人権問題 「身の安全の脅威」に 

Earth新潮流 日本総合研究所常務理事 足達英一郎氏

NIKKEI BUSINESS DAILY 日経産業新聞日経産業新聞 Earth新潮流

気候変動は人間の安全を脅かす問題で、対策の不備は人権にも影響する。こうした考え方に光が当てられるようになってきた。国連開発計画(UNDP)が8日に発表した「人新世における人間の安全保障に対する新たな脅威」と題する報告書のなかで目を引いたのは、安全を脅かされ移住を余儀なくされた人々の数と原因別の推計である。

3千万人が気象災害で移住

これによると、2020年に世界で新たに4050万人が安全を脅かされたとの理由で移住している。このうち、暴力犯罪、政治的暴力、対立住民間の暴力、武力紛争などの治安の悪化により住まいを奪われた人が980万人なのに対して、災害により住まいを奪われた人の数は、3倍以上の3070万人に及ぶ。

災害のうち、地震や噴火といった地質災害が原因なのは66万人にすぎず、約3千万人が気象災害の原因によるとされている。内訳としては、サイクロン、ハリケーン、台風などの荒天が1460万人、洪水が1400万人、山火事が120万人で、その他に地滑り、異常高温、干ばつなどが挙げられている。

かつて「人々の安全は国家による保護を通じて保障される」と考えられていた。それが冷戦終結後、外部からの侵略や領土的一体性に対する脅威がなくても、人々が国内における民族や宗教、社会集団間の歴史的な対立や反目に起因する暴力に直面する事態が多発した。国ではなく人々が暴力に目を向け、保護を提供し、安全を確保しなければならないとして「人間の安全保障」という理念も生まれた。

それから30年近くがたって、今度は気候変動が「人間の安全保障」を脅かす大きな要因となっている。

気候変動巡る訴訟増加

こうした情勢は気候変動を理由とする訴訟の増加に如実に反映されている。英国のグランサム研究所の調べによると、21年5月末までに世界で確認できた気候変動を理由とする訴訟は1840件あった。このうち1986~2014年の件数は834件なのに対し、15年以降は1006件に及ぶという急増ぶりである。20年5月1日から21年5月31日の13カ月では191件の新規訴訟が起こされているのだ。

国際法の下で、人権を尊重し、保護し、促進する直接的な義務を負っているのは国家である。したがって訴訟の矛先はまず国の政府や州政府に向く。多くの国で政府の気候変動対策が不十分であり、人権を保護する観点から、より野心的な行動を取るよう訴えが起こされている。

政府の敗訴が確定したケースもある。19年12月、オランダ最高裁は「国は20年までに1990年比で25%(温暖化ガス排出を)削減すべきだ(既存の政府目標は同20%削減)」と命じたハーグ地裁(15年6月)およびハーグ高裁判決(18年10月)を支持し、オランダ政府の上告を棄却した。ほかにも21年4月にはドイツ連邦憲法裁判所が「19年に施行された気候保護法が温暖化ガスの削減に十分ではない」と判断し、22年末までに厳格化するように政府に命じる判断を下した。

供給網で侵害を把握

企業が訴えられる事例も増えている。当面は裁判所が特定企業に対して「温暖化ガスの排出削減を命令する」といったケースは極めて少数で、敗訴の確定に至っていないものがほとんどだ。ただ世界では弁護士と非政府組織(NGO)が人道に対する新たな犯罪として「エコ(環境)」と「ジェノサイド(大量虐殺)」を組み合わせた「エコサイド」という概念を普及させようという運動を始めている。

ESG(環境・社会・企業統治)という言葉は日本でも定着してきたが、EとSの要素を別個の概念として捉える感覚が時代遅れになる可能性がある。例えば、フランスではサプライチェーン(供給網)全体で人権侵害を把握し、予防策を講じる仕組み「人権デューデリジェンス」を企業に対して義務付ける「企業注意義務法」が2017年に制定された。そこで注意を払うべき対象は気候変動を助長する活動も明確に含まれる「ビジネスと人権」で問われるのは、児童労働や強制労働にとどまらないのだ。

21年10月、日本が気候変動対策に後ろ向きと見られかねない出来事があった。国連人権理事会で「安全でクリーン、健康的で持続可能な環境への権利」の決議が採択された。その内容は、気候変動などの環境被害が人権に悪影響を及ぼし、脆弱な立場にある人々を厳しい状況に追いやることを政府は認識し、環境対策を通じて人権を尊重・保護する義務があるとするものだ。

日本と中ロ印が棄権

この決議には43カ国が賛成したのだが、4カ国が棄権に回った。それが、中国、ロシア、インド、そして日本だったのだ。「環境権は国際的に認識されたものではない」というのがその理由だったと伝えられるが、こうした状況が続くのなら、日本企業がグローバル市場で気候変動対策をいくら発信しても国全体のイメージにかき消されてしまうことを危惧せざるを得ない。

01年、国連と日本政府の発議により「人間の安全保障委員会」が設置され、ノーベル賞を受賞した経済学者アマルティア・セン氏と委員会の共同議長に就いたのは日本人初の国連難民高等弁務官となった緒方貞子氏だった。温暖化ガス排出に対し一定の緩和策を実施したとしても、21世紀末までに気温の変化によって累積で約4千万人が命を失いかねないとする、今回のUNDPの警鐘を、緒方氏ならどう聞かれるだろうか。

[日経産業新聞2022年2月18日付]

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

日経産業新聞をPC・スマホで!

スタートアップに関する連載や、業種別の最新動向をまとめ読みできる「日経産業新聞」が、PC・スマホ・タブレット全てのデバイスから閲覧できます。直近30日分の紙面イメージを閲覧でき、横書きのテキストに切り替えて読むこともできます。初めての方は、まずは1カ月無料体験!

日経産業新聞をPC・スマホで!

スタートアップに関する連載や、業種別の最新動向をまとめ読みできる「日経産業新聞」が、PC・スマホ・タブレット全てのデバイスから閲覧できます。直近30日分の紙面イメージを閲覧でき、横書きのテキストに切り替えて読むこともできます。初めての方は、まずは1カ月無料体験!

関連トピック

トピックをフォローすると、新着情報のチェックやまとめ読みがしやすくなります。

関連企業・業界

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン