ユートピアを守れ コロナ耐えるベルリンのクラブ文化

ひんやりとした秋の夜、時計の針が深夜を回る時刻だ。ドイツ、ベルリンのフリードリヒスハイン地区の歩道に着飾った人々が列をなしていた。人気のクラブ「ヴィルデン・レナーテ」で踊り明かそうというのだ。
パンデミック(世界的大流行)前のベルリンでは見慣れた光景だったが、2020年3月13日を境に一変していた。新型コロナの感染対策として、ベルリンのクラブで屋内のダンスが禁止されたからだ。
しかしこよい、21年9月4日の夜は違った。クラブの閉鎖から540日、あの行列が戻ってきたのだ。それは幻のようであり、激しい嵐の後に虹が出た瞬間のようでもあった。

ベルリン市当局による禁止令の解除は、先が見えない長い日々を模索していたベルリンのナイトクラブに救いの光となった。ほぼ18カ月ぶりに、屋内のダンスフロアでマスクを着用せずにダンスを楽しむことが許されたのだ。
ところが12月2日、ドイツ政府は、感染拡大やオミクロン株に対する懸念を受け、新型コロナ対策のための行動制限を強化。ベルリンのクラブではダンスが再び禁止され、感染率の高い地域のクラブは閉鎖に直面する可能性も出てきた。記事ではこの間に取材したベルリンのクラブカルチャーと、新型コロナへの取り組みを紹介する。

差別や敵意のないユートピア
ベルリンは、クラブカルチャーでは世界屈指の街として知られている。ベルリンのクラブオーナーやプロモーターを支援する会員制組織「ベルリン・クラブコミッション」が18年に行った調査では、クラブ業界は1万人の従業員を雇用し、年間300万人にのぼるクラブ目当ての旅行者が17億ドルの収益をもたらしたと推算された。
登録された226のナイトクラブは、数十年に及ぶ法廷闘争を経て、ベルリンの文化部門の重要な柱としてドイツ政府に認知された。パンデミック前には、年間5万8000件のイベントを開催し、人々の週末に欠かせない存在になっていた。
クラブに通う人々の多くは、ドイツや世界の他の地域で阻害されがちな非主流派のコミュニティーを尊重する観点から、クラブを教会のような存在と感じている。
「ベルリンのクラブカルチャーはとても大切です」と話すのは、展示会やイベントの拠点であるアルテ・ミュンゼの設立者で文化部門ディレクターのアレクサンダー・クルーガーさんだ。「私にとってクラブとは、人種差別や同性愛者への敵意がないユートピア(理想郷)です。特に同性愛者のコミュニティーには安全な居場所です」
ベルリン育ちのスタイリスト兼アートディレクターであるソフィー・アイレンベルガーさんにとって、クラブはストレスや社会のプレッシャーから解放される空間だ。


クラブの休業
ベルリンで最も過激なクラブといわれる「キットカット」は、法による規制が発効するよりも早い、20年3月9日、他のクラブに先駆けて休業を発表した。
キットカットに続いて、ベルリンのインダストリアル・テクノの拠点「ベルグハイン」も、建物の正面に「Morgen ist die frage(明日が問題だ)」という巨大なバナーを掲げて休業した。そして、20年3月13日、ベルリン市は、すべてのクラブに休業命令を出した。

ベルリン市民にとって、パンデミック初期のクラブ休業はあまり問題とならなかった。「何の疑問もありませんでした。クラブ通いがコロナの感染拡大に拍車をかけていたことは明らかですし、コロナ禍においてクラブが最悪の場所だというのは当然のことです」。ベルリン・クラブコミッションの広報担当者で理事でもあるルッツ・ライヒセンリングさんはこう話した。ライヒセンリングさんやクラブコミッションの他のメンバーにとっての問題は、ロックダウン期間中に何をするかという点だった。
その後2カ月間にわたって、ドイツ全土でロックダウン(都市封鎖)が実施された。同居家族以外の人と室内で過ごす人数が制限され、違反者には多額の罰金が科せられる場合もあった。

20年5月、ベルリンの一部のバーやレストランで、衛生対策を徹底した屋外の席に限って営業再開が許可された。屋外での集まりなら構わないという総合的な見解から、一部のクラブでは、屋外スペースに限定した営業を再開した。屋外スペースを持たないクラブも、急きょ屋外スペースの設置を始めた。だが、最も注目すべきなのは、多くのクラブが、新型コロナの検査場やワクチン接種会場としてクラブの建物を提供し、元従業員に新たな仕事に携わる機会を与え、新型コロナとの闘いに貢献した点だ。
アリーナ・ベルリンのスタッフ・マネージャー、バスティ・シュワルツさんは、この職に就くまでの30年間、DJデュオ「ティーフシュワルツ」として、兄弟で世界各地をツアーで巡っていた。コンサート会場だったワクチン接種センターでの勤務は、現状を受け入れつつ社会生活を送る絶好のチャンスをもたらしてくれたという。バスティさんの推定では、このアリーナを会場とする接種センターで働く人の85パーセントは、アーティストから予約スタッフ、バウンサー(クラブのドアマン)など、夜間の仕事をしていた人々だ。こうした人々にとって、このアリーナは、社会の一員として昼間に仕事をするという得難い経験の場となっている。


クラブに代わるものはない
9月にベルリン市がダンス禁止令を解除したことを受け、クラブの再開は徐々に本格化した。10月には、ついにベルグハインが営業を再開し、クラブ業界は、通常営業に戻り始めた。ライヒセンリングさんの話では、クラブを訪れる旅行者は以前に比べればわずかだが、クラブ運営側の回復力とベルリン市からの171万ドルの財政支援が奏功し、ベルリンでは、コロナ禍による減収で閉店に追い込まれたクラブはなかったという。
ベルリンのクラブは、その価値を評価する社会の力で少しずつ復活しているが、「これから」については懸念もある。

21年8月、ベルリン市は、健康な人の活動を制限することは違法であるという決定を下した。これは、重症化リスクがある人への感染やドイツ国内や市内で急速に悪化する感染状況の抑制にワクチンが有効であるという見解に基づいたものだ。だが、クラブへの「2G」ルールと「3G」ルールの適用については、激しい議論が巻き起こった。この「G」とは、「Geimpft(ワクチン接種完了)、Genesen(コロナから回復)、Getestet(検査で陰性)」という3つのGを指す。
8月までのルールでは、クラブは、マスクを着用し、ダンスをしない客に限り、この3つのGのいずれかを証明できれば、人数を制限した上で屋内に入店させることができた。しかし、クラブでのダンスが許可されると、市は、クラブへの入店を、Geimpft(ワクチン接種完了)またはGenesen(コロナから回復)を証明できる客に限定した。その結果、Getestet(抗原検査やPCR検査で陰性)というだけでは、入店できないことになった。
コロナ検査の陰性証明を入店に必要な健康証明から除外するというベルリン市の決定に、ベルリン・クラブコミッションなどクラブ業界の多くの人々は疑問を抱いている。
また、この区分けによって、「ワクチン接種済み・回復済み」と「その他」の2つの階層が生まれることを懸念する声もある。こうした状況は、ベルリンの包括性を尊重する文化と社会主義的精神にそぐわないというのが、その理由だ。
「だれかを除外するのは、賢明なやり方ではありません」とライヒセンリングさんは話している。

ベルリンが、健全なクラブカルチャーへの道を歩むかどうかは、時が過ぎなければわからない。だが、ひとつだけ確かなことがある。それは、いずれにしても、ベルリンはダンスを続けるだろうということだ。
「クラブがなくなれば、私たちは、ベルリンの心、ベルリンの魂を失うことになります」と、クルーガーさんは話す。「クラブが消滅したら、ベルリンは死んだも同然です」

(文 ARIKIA MILLIKAN、写真 RUBEN SALGADO ESCUDERO、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2021年12月6日付]
関連リンク
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連キーワード