「移行金融」、まず鉄鋼で行程表 脱炭素へ設備支援
Earth新潮流 日本総合研究所常務理事 足達英一郎氏
日本で「トランジションファイナンス(移行金融)」への注目が高まっている。温暖化ガス排出を減らす設備の導入など「脱炭素」を徐々に進めるための投融資を指し、政府によるロードマップ作成も動き出した。ただ具体的な排出量の見通しなどは盛り込まれておらず、海外からの信頼獲得には力不足な感も漂う。
日本で特徴的な政策

英国の金融関係者とビデオ会議で意見交換する機会があった。その人物の関心は「日本は2050年までの脱炭素実現を宣言したが、産業界、金融界はどう受け止めているか」というものだった。
特にトランジションファイナンスに関する質問が多く出た。トランジションファイナンスの重視という日本の特徴的な政策方針は海の向こうに伝わっているのだが、その意図が必ずしも読み取れていない様子だった。
最終的にカーボンニュートラル(温暖化ガス排出実質ゼロ)に到達することを前提に、そのプロセスを形づくる取り組みを「トランジション(移行)」と呼ぶ。欧米の通念では、単なる漸進的な排出削減はこの語意には含まれない。「ゼロ」に向けて有効と判断できる取り組みに資金を提供していくのがトランジションファイナンスだ。
一方、日本国内ではこのところカーボンニュートラルに至るハードルの高さが改めて認識されるようになったためか、30年や50年という年限付きの目標設定への反発や、国の事情によって違うやり方を許容すべきだとの意見も大きくなっている。
とりわけ、製造業では政策や規制が特定技術の禁止に結びつくことへの懸念が高まっている。ガソリン車の販売禁止などがその典型だ。「今の延長線上に未来はない」「製造業は時代遅れだ」という言説に対しての反発も顕著で、「これまでの延長線上に未来を持っていく努力も必要だ」との主張も聞かれる。
多くの製造業が恐れているのは、足元で温暖化ガス排出削減を進めようとしても「多排出産業」だとの理由で投資家や金融機関が資金調達に応じてくれないという事態だ。
製造業の比率高く
主要7カ国(G7)でも日本は相対的に製造業の産業構造比率が高い。政府もよく理解していて「気候変動分野では多排出産業の着実な脱炭素を後押ししていく必要がある」とみている。「全ての産業について最終的にカーボンニュートラルに到達するトランジションの取り組みを適切に評価することで資金供給を促していくことが重要だ」との認識のもと、トランジションファイナンスを重視する政策を打ち出した。
これを促進するため、投資家や金融機関が多排出産業への融資を検討する際に参照できるロードマップを政府がつくることも決めた。最終的にカーボンニュートラルに到達するまでのプロセスを可視化しようという試みだ。
政府は6月に「経済産業分野におけるトランジション・ファイナンス推進のためのロードマップ策定検討会」の設置を発表し、鉄鋼、化学、電力、ガス、石油、セメント、製紙・パルプの産業セクターでロードマップをつくる。
8月24日の検討会会合では、先陣を切るかたちで「鉄鋼分野におけるロードマップ(案)」が公表された。
そこでは①世界的な将来動向、国内生産量やマテリアルフロー②日本の鉄鋼業の強み、既存の製鉄プロセスの概要③二酸化炭素(CO2)排出量、プロセス別排出源単位④カーボンニュートラル実現に向けた中長期的な技術オプションの内容⑤カーボンニュートラルのために国内で必要になると想定される技術開発――について50年までの時間軸にマッピングしたチャートなどを掲載、詳述している。
こうしたロードマップに付加価値があるかどうかは、銀行や証券会社、投資家が、鉄鋼メーカーの移行の戦略・取り組みがトランジションファイナンスに適格かどうかを判断する際に、検討の一助になるか、という点にある。
投資家や金融機関が置かれた状況から、その価値を占ってみよう。例えば「ネット・ゼロ・バンキング・アライアンス」(NZBA)というイニシアチブが組織されている。これは、融資ポートフォリオの脱炭素を目指す銀行の取組みで、署名銀行は「50年カーボンニュートラル」と整合した融資実態やそのための目標設定、定期的な情報開示などをコミットしなければならない。このため、署名銀行は融資先企業の現状の温暖化ガス排出量の把握と、将来の削減推移予測を進めている。
需要推計や高炉比率
その際の集計の方法論として、PCAF(Partnership for Carbon Accounting Financials)という団体が20年11月に「金融業界のためのグローバル温室効果ガス計測・報告スタンダード」という基準を公表している。投融資先企業の施設や設備、事業の排出量が算定の対象となることはいうまでもない。これは、仮にトランジションファイナンスを実行する場合にも例外にはならない。
だとすると、詰まるところ個々の企業が30年や50年にどの程度の排出量となるかが情報として必要だということになる。こうした視点から鉄鋼分野におけるロードマップ(案)を眺めると、確かに複数の低炭素技術固有の排出係数は記されている。
さらに①日本の鉄鋼の将来需要推計②日本における電炉法・高炉法比率の見通し③将来期待される技術が実現した場合の業界全体の排出原単位のシナリオ――などの記載があれば、より説得力の増すものになるはずだ。
鉄鋼業界にとっては、そうした数値が盛り込まれることで、自由な事業活動が制約されるという懸念があるかもしれない。政府にも計画経済的な行動はとれないという自重が感じられる。
ただ、鉄鋼分野におけるロードマップは他業界のモデルとされる可能性もある。日本が「トランジションファイナンスの重視」を国策とするなら、海外から「日本は脱炭素社会の実現に後ろ向きだ」と見られがちな印象を払拭するためにも、ロードマップ(案)の内容構成にもう一段の踏み込みを求めたい。
[日経産業新聞2021年9月17日付]
