IFRSの新基準対応迫る 情報開示見直す好機に
Earth新潮流 日経ESG編集部 相馬隆宏

ESG(環境・社会・ガバナンス)の取り組みを含む非財務情報の開示を巡る動きが活発になっている。金融庁の審議会は2022年6月に公表した報告書で、有価証券報告書に気候変動などのサステナビリティ情報を記載する欄を新設するとした。
国内の政策のほかに、今、企業や投資家が最も注目しているものの1つが、国際会計基準(IFRS)財団が策定を進めている非財務情報の開示基準だ。21年11月の試作版に続いて、22年3月31日に草案が公開された。草案はサステナビリティ全般の要求事項を記したものと、気候関連の基準を記したものと2つある。7月29日まで意見を募集し、年内には最終基準を取りまとめる予定である。
ISSBが基準づくり
この基準の策定を担うのは、IFRS財団傘下の国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)である。議長には、仏ダノンの前最高経営責任者(CEO)、エマニュエル・ファベール氏が就いた。ファベール氏といえば21年3月にCEOを解任され、世界に衝撃を与えた。パーパス(存在意義)を掲げ、ESGに積極的に取り組んでいたものの、株主から理解を得られなかった。
ファベール氏は「私たちの目的はより一貫性があり完全で、かつ比較可能、検証可能なサステナビリティ関連の財務情報をもたらす基準を開発することだ」と話す。
ISSBの基準が注目される理由の1つは、この基準が世界の標準になる見方が強まっているからだ。140を超える国・地域が利用するIFRSの国際会計基準と同様のプロセスを経て策定される予定で、「サステナビリティ情報開示の共通言語になる可能性が高い」(ニッセイアセットマネジメントチーフ・コーポレート・ガバナンス・オフィサー執行役員統括部長の井口譲二氏)との声が上がる。
ISSBの基準を多くの企業が採用すれば、共通の指標で情報を開示するようになるため、企業間の比較もしやすくなる。非財務情報の開示はこれまで、様々な団体が策定した基準が乱立しており、各社がバラバラに開示している状態だった。
ISSBの基準は、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言をベースにしている点が特徴の1つである。TCFDに賛同する企業・機関は日本が世界で最多だ。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が22年1~3月に実施した調査では、TCFDに沿って開示している東京証券取引所1部上場企業は249社で、1年前から100社以上増えた。
各国・地域がISSBの基準を採用するかどうかは当局の判断によるが、日本は前向きな姿勢を見せる。
金融庁チーフ・サステナブルファイナンス・オフィサーの池田賢志氏は、「日本の優位性を築こうとベストプラクティスを積み上げてきた分野に立脚して、グローバルスタンダードと呼べるサステナビリティ情報の開示基準が形成されようとしているのはいい流れだ。むしろ日本企業にとって有利な環境がつくられようとしている」と話す。
欧州で別の基準づくり
一方、世界では別の開示規制や基準づくりが進む。欧州では21年4月、企業持続可能性報告指令(CSRD)案が発表された。約5万社にサステナビリティ情報の開示を要求するもので、22年中にも具体的な開示基準が決まる見込みである。米国では証券取引委員会(SEC)が3月、上場企業に気候変動リスクの開示を求める規則を提案した。
どの基準が世界で広がるかは予断を許さないが、企業は動向を注視しつつ、情報開示を磨くことが肝要だ。TCFDへの対応はその第一歩となる。TCFDはISSBの基準のベースとなっているほか、東京証券取引所のプライム市場に上場する際、実質的に対応を義務付けられている。
TCFDへの対応からさらにどう開示を強化していくか。基準に沿って要求事項を開示するのが「規定演技」だとすれば、それ以外の部分で自社の特徴や強みを見せる「自由演技」が差異化のポイントになる。この自由演技こそが、企業の評価を左右するといっても過言ではないだろう。
第一生命保険責任投資推進部責任投資企画室長の本多勇一氏は「枠組みにのっとりきれいに開示することで企業価値が向上するわけではない。自由演技が得意な企業は思い切り見せてほしい」と語る。

例えば、リコーは「TCFDレポート」を発行し、気候変動に長年取り組んできた歴史や具体的な活動を伝える。成長機会を定量的に示しているのも同社の特徴だ。再生材を使用し、二酸化炭素(CO2)排出削減にも寄与する複合機の売り上げなど合計約9600億円を稼いでいることを伝えている。
日立は事業ごと開示
気候変動による影響を事業ごとに細かく開示しているのが日立製作所である。鉄道システムや発電・電力ネットワーク、建設機械など6つの事業について、50年度までにカーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)を実現する「1.5℃シナリオ」と、気候変動による災害が多発する「4℃シナリオ」の2つのシナリオで分析した。事業環境の変化やリスク、機会、対応を統合報告書やサステナビリティリポートに記載している。
日立のように多様な事業を手掛けている場合、企業の全般的なリスクや機会を開示しても具体性に欠け、投資家もその情報を基に適切に評価するのは難しい。企業価値の向上にもなかなか結び付かないだろう。
非財務情報開示で世界共通の基準ができれば、ESGの取り組みで他社との差がはっきりする。企業にとって新基準への対応は負担も伴うが、情報開示を見直す好機と捉えたい。開示を起点に投資家とエンゲージメント(建設的な対話)を実施し、フィードバックを得ながら経営を改善する。このサイクルを回すことが企業価値向上の鍵になる。
[日経産業新聞2022年6月17日付]
