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岸田首相「資産所得倍増プラン」 円安進行リスクも

日経ビジネス電子版

7日に政府が発表した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」の中にある「資産所得倍増プラン」の実現性が話題となっている。骨太方針では、新しい資本主義を実現するための重点投資分野が掲げられているが、資産所得倍増プランは「人への投資と分配」の中に盛り込まれている。家計金融資産2000兆円を貯蓄から投資に回すのが狙いで、少額投資非課税制度(NISA)や個人型確定拠出年金(iDeCo)の拡充・改革などで実現を目指すという。

なぜ、貯蓄から投資の流れを強化する施策が「人への投資と分配」になるのか。理由は主に2つある。1つは、国民が賃金以外の収入を得る手段を広げれば、所得が増える可能性が高まるということ。もう1つは、企業の成長が家計への分配につながりやすくなることだ。足元10.5%といわれる、家計の株式保有率が高まれば、企業業績に連動する形で、株の値上がり益や配当を得る人が増える。

企業が収益をどれだけ賃金に回しているかを示す労働分配率は2020年度、50.7%(2021年経済産業省企業活動基本調査・速報版)と低い状態が続いている。政府は一定以上賃上げした企業の法人税を優遇するなどの施策を続けているが、景気の先行き見通しが不安な中でなかなか賃上げは進まない。ならば違う形で成長の果実を家計に行き渡らせようと考えたのだろう。

21年の自民総裁選の頃から「令和版所得倍増」を打ち出すなど「倍増」にこだわってきた岸田文雄首相。所得の中身を「賃金」から「金融資産」にくら替えすることで、「所得倍増」という最終目標を達成しようとしている。

岸田首相はこの構想を、5月に英ロンドンの金融街シティーでの講演で披露した。金融所得課税の強化や、自社株買いに対する規制、四半期開示の見直しと、ことごとく株式市場に対して逆風となる考えを提示してきただけに、講演の内容は波紋を広げた。

株式市場を味方に付ける戦略へ転じる

企業の短期的な利益追求や、株主の利益を最優先に考える「株主至上主義」の修正を迫ることで、経済成長の恩恵をより広範囲に広げ、格差を是正していく――。

これが岸田首相のいう「新しい資本主義」のはずだった。これは大きな方針転換といえるだろう。野村総合研究所(NRI)の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは「岸田政権は株式市場を味方に付ける戦略へと転じた」と評する。

家計に眠る2000兆円もの金融資産がリスクマネーと化し、日本の株式市場に向かえば市場は活性化する。市場で調達できた資金を元手に企業の投資意欲が高まれば、イノベーション(技術革新)が起こり経済の成長力も増す。これがまさに「貯蓄から投資へ」の目指す姿であり、長年言い続けられながら達成できないものだった。

アベノミクスは金融緩和によって株式市場を活性化させ、外国人投資家の関心を集めたが、岸田政権は2000兆円を動かし海外マネーを呼び込もうとしている。ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次チーフエコノミストは「即効性の高い金融緩和と比べて効果が出るまでに時間がかかる。良い政策だが、首相の評価に結び付くだろうか」と話す。

NISAやiDeCoなどの制度改革も重要だが、それは収入や資産がまだ少ない若い世代の資産形成を促すアプローチだ。税制優遇や確定拠出年金の枠組みだけでは、市場を活性化させる力に欠けるともいえる。

日本の個人金融資産の約6割は高齢者世帯が保有していると推計されている。それだけに、「貯蓄から投資へ」の流れを本格化させるには、高齢者から若年層への資産移転を並行して進めなければならない。

金融資産の主な使い道が老後の生活資金である高齢者世帯にとって、資産を株式などのリスク・リターンの高いものに投じる必要性は低い。老後までの時間に比較的余裕のある若年層が資金を手にしない限り「2000兆円の大移動」は起こらないだろう。第一生命経済研究所の星野卓也主任エコノミストは「相続や生前贈与といった、資産移転を促す仕組みづくりも求められる」と話す。

個人金融資産が海外に流出する懸念

もう1点、重要なのが経済の潜在成長力を高める施策の強化だ。企業の収益力強化、投資活性化につながる成長戦略を政府が描けなければ、日本経済の伸びしろは限られてしまい、日本株の魅力も高まらない。生産性の向上につながるDX(デジタルトランスフォーメーション)や規制改革を推進するのみならず、成長産業を育てる政策誘導を進めるといった「道筋」を付けるのは政府の役割だ。

日本株の魅力が高まらなければ、個人金融資産が日本に比べて利回りの高い海外の債券や株式に流れてしまうリスクは否めない。株式以外でも、日本の円金利は日本銀行の超金融緩和で長らく低位に抑えられてしまっており、投資魅力がないからだ。みずほ銀行の唐鎌大輔チーフマーケット・エコノミストは「家計部門の資金が円建て資産ではなく海外資産に流れると円安が加速するリスクがある」と懸念する。

「円安は輸出競争力を強める」といわれたかつてのセオリーは、1990年代以降日本企業が生産拠点を海外にシフトしたことで通用しなくなりつつある。ロシアのウクライナ侵攻による地政学的リスクの台頭でエネルギーや食糧価格が上昇傾向にある今、輸入コスト増につながる円安は経済の重荷以外の何物でもない。唐鎌氏は「現在の投資環境のまま、貯蓄から投資を奨励することによるリスクを政府は考慮すべきだ」と話す。

個人金融資産の海外流出および円安進行を止めるには、日銀が金融政策を正常化させ金利を上げていくか、株式市場を活性化させるしか方法はないだろう。いずれも生半可な対応では実現できないものだ。

家計資産を日本国内にとどめておけるだけの魅力が、今の日本経済にはあるのだろうか。とりわけ日本の円金利の低さは投資環境という観点だけでみると大きなデメリットだ。「個人が海外資産に投資して得た利益が国内消費の活性化につながればいい」との声もあるが、経済がグローバル化した今、このような楽観的な考え方にも限界があるだろう。

「資産所得倍増」とは聞こえがよいものの、実現に向けた課題は多い。岸田首相はどこまで目配りできているだろうか。

(日経ビジネス 武田安恵)

[日経ビジネス電子版 2022年6月10日の記事を再構成]

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