人類は氷を乗り越えたのか? 北米大陸到達で大議論

その足跡は、ついさっきできたものみたいだ。どうやら扁平(へんぺい)気味の足を持つひとりの若者がのんびりと歩いていたようで、つま先とかかとの痕跡が、細かい砂の隆起によってはっきりと見える。しかし、これは現代人の足跡ではない。米大陸における人類の最古の証拠のひとつだ。
2021年9月24日付で学術誌「Science」に発表された論文によると、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園にあるこれらの足跡は、2万3000年~2万1000年前に、かつて存在した湖の周辺の泥に刻まれた。その時代には、いまのカナダを覆っていた巨大な氷床によって、人類の北米への進出は阻まれていたはずだと、多くの科学者が考えていた。
人類が正確にはいつ米大陸に住み着いたのかについては、1世紀近くにわたって激しい論争が繰り広げられている。最近では多くの科学者が、1万3000年前より前ではないという説を支持するようになっていた。
一方で、それよりも数千年前に人類が南北米に存在していたことを示す発見も増えつつある。たとえば、チリのモンテベルデ遺跡では1万8500年前、米テキサス州のゴールト遺跡では2万年前のものとされる証拠が見つかっている。しかし、そのいずれに関しても科学者の間では賛否両論が巻き起こっている。
ホワイトサンズの発見は、この議論に終止符を打つとまではいかずとも、興奮を呼び起こすものだ。

「これほどの発見は聖杯を見つけたようなものです」と、メキシコのチキウイテ洞窟での発掘調査を指揮している、サカテカス自治大学の考古学者チプリアン・アルデレアン氏は言う。チキウイテ洞窟には、3万年前に米大陸で人類が活動していた証拠があると考えられている。
「素直にうらやましいですね。こんな発見をしたチームには、いい意味での嫉妬を感じます」
幽霊の足跡か、ビッグフットか
ホワイトサンズでは1930年代初頭に、長さ約56センチ、幅20センチという驚くほど大きな足跡が、政府のわな猟師によって発見されている。これは伝説の怪物ビッグフットのものに違いないと猟師は考えた。
「ある意味、彼は正しかったのです」と、同公園の資源計画マネジャーで、新たな論文の著者であるデビッド・バストス氏は言う。「それは確かにビッグフット(大きな足)ではありました。ただしその持ち主は人類ではなく、巨大なナマケモノ(メガテリウム)でした」
それ以来続けられてきた入念な調査によって、公園内では何千もの手や足の痕跡が発見されており、古代の人類のほか、メガテリウムやマンモスなどの、今は絶滅した動物たちが湖の周辺を歩き回る姿を想像させてくれる。それらの痕跡はどれも、何千年も前に石こうを多く含む砂に刻み込まれたものだ。
中には砂丘を吹き抜ける風によって外気にさらされ、あっという間に風化してしまうものもある。しかし、経験を積んだ専門家であれば、地面が湿りすぎても乾きすぎてもいないときを見計らって、砂の下に埋もれているものを、地表の色のかすかな変化によって見つけることができる。そうした見つけにくい痕跡は、通称「ゴーストトラック」とも呼ばれる。

「ここを訪れると鳥肌が立ちます」と語るのは、 ニューメキシコ州およびアリゾナ州に住む先住民プエブロの一員キム・チャーリー氏だ。プエブロや多くの米先住民はホワイトサンズに精神的なつながりを感じており、チャーリー氏は、部族歴史保存局の委員会に所属し、研究チームと協力して足跡の保存に努めている。
しかし、足跡が付けられた時期を正確に特定することは難しいと、英ボーンマス大学の地質学者マシュー・ベネット氏は言う。公園の地表では、数千年の差がありうる足跡が交差し、何層にも重なり合っている。足跡の年代を確実に測定するためには、足跡の層の上下に、放射性炭素分析で年代を測定できる種子の層を見つける必要がある。そうすれば、足跡の層準(ある特定の地層)が作られたと考えられるもっとも早い時期と、もっとも遅い時期を絞り込める。
それでも、何年発掘を続けても、種子の層と足跡の層の両方が残っている場所はなかなか見つからなかった。
運命の日は2019年9月に訪れた。バストス氏とベネット氏は、すでに十回以上訪れたことのある園内の断崖にまた戻ってきた。この場所に古代の種子の堆積物があることはわかっていたが、まだ人類の足跡は見つかっていなかった。ただし、この日は風のおかげで、盛り上がった砂の中から間違いなく人類のものとわかる足跡が現れる。上部の砂の層を削ると、埋もれていた足跡の輪郭がうっすらと浮かび上がった。
「これを見てわたしたちは言ったんです。ビンゴだ、やったぞってね」と、ベネット氏は言う。
考古学者、地質学者、年代測定の専門家、地球物理学者、データサイエンティストからなるチームが結成され、バスケットボールコート半分ほどの広さの遺跡でさまざまな調査が行われた。発掘の結果、足跡を含む層準が8つ発見され、10代や子どもを中心とした最大16人が残した計61個の足跡が見つかった。複数の足跡の層準が、上下をカワツルモの種子を含む堆積物の層に挟まれていた。

種子の放射性炭素年代測定は、人類と動物たちがこの草むらの道を、2万3000年前から2万1000年前までの、少なくとも2000年間にわたって歩いていたことを示している。この年代が適用されるのはこの一カ所にある足跡だけであり、ホワイトサンズにあるほかの多くの足跡の年代は不明であることには注意してほしいと、ベネット氏は言う。それでも、それほど古い時代のものであることがわかったのは非常に大きな発見だ。そして、研究チームはこの主張がどれほど大胆なものかをよく理解している。
「われわれは何度も、それほど古い時代のものではないことを証明しようとしました。しかし、そうした結果はどうしても出なかったのです」と、国立公園局の文化資源主任研究員で、今回の研究の著者でもある考古学者ダニエル・オデス氏は言う。

2万年前の氷の壁
世界が最終氷期最盛期(約2万6500年〜2万年前)に入ると、気温が低下し、成長する氷河に大量の水が閉じ込められたため、海面は現在よりも120メートル以上急低下した。おかげで現在のシベリアとアラスカを結ぶベーリング地峡など、多くの陸地が海中から出現した。研究者らはこのベーリング地峡が、人類が米大陸に進出するルートを提供したと考えている。
しかし気温が下がるにつれ、ローレンタイド氷床、コルディエラ氷床と呼ばれる2つの巨大な氷床が、現在のカナダを横断して成長し、おそらく2万3000年前頃までには、大西洋から太平洋までほぼひとつながりの氷の壁を形成した。多くの科学者は、この氷床が後退するまでは、人類が南下してカナダに進出することはできなかったと主張してきた。
1900年代半ば以降、最初の移住が起こった時期の基準は、独特の石器で知られるクロービス文化が起こった1万3000年前と定められてきた。現在では、人類が米大陸に進出したのはおよそ1万7000年前以降であり、おそらくは内陸部の氷床が解けるより前に通れるようになった太平洋沿岸のルートを南下したのだろうという説が概ね受け入れられている。
しかし、ホワイトサンズの足跡は明らかに人間のものだ。「これはあまりに明白です」と、論文の著者であるアリゾナ大学の考古学者・地質学者のバンス・ホリディ氏は言う。
しかも、ホワイトサンズの足跡は一組だけではなく、2万年より前の人類の活動が複数の層にわたって記録されている。

年代測定を揺るがす要素も
一部の科学者はまだ、研究チームが入手した足跡の年代の信頼性に疑問を呈している。米オレゴン州立大学の考古学者ローレン・デイビス氏は、放射性炭素の結果を検証する第二の年代測定法の必要性を強調し、硬水効果、あるいは淡水リザーバー効果と呼ばれる現象によって、放射性炭素年代がずれる可能性があると指摘している。
この現象は、ホワイトサンズから見つかったカワツルモのような水生植物が、湿地環境に溶け込んだ物質を取り込むために起こる。もしそれが炭酸塩岩のような「古い」炭素を含む場合、結果として放射性炭素年代が実際よりも古いものになってしまう可能性がある。
一方、陸生植物はこうした影響を受けない。陸生のものは、放射性炭素と非放射性炭素の相対的な量がほぼ一定である大気中から炭素を取り込むからだ。研究チームは淡水リザーバー効果の可能性について検討し、その影響は無視できる程度であるだろうと結論づけている。
別の方法による年代の確認は、一筋縄ではいかない可能性もある。チームはウランを使った方法を試みているが、サンプルが分析に適していなかったと、植物の残存物を調査した米国地質調査所のジェフ・ピガティ氏は言う。それでもチームは現在も、年代の正確さを確認する方法の模索を続けている。
「わたしとしては、この年代がほんとうであれば非常にうれしいです」とデイビス氏は言う。しかし、「シャンパンを開けて成功を祝うのは時期尚早だと思っています」
「探そうとしなければ、見つかりません」
この数字がこれほど注目を集めているのがなぜかといえば、もし最終氷期最盛期に米大陸に人類がいたことが確認されれば、人類がどのようにして新世界にやってきたのかについて、科学的な考え方を根本的に変えなければならないからだ。
「さらに重要なのは、考古学をどのように行うかを考える必要が出てくるということです」とデイビス氏は言う。「なぜなら、現在はだれも2万2000年前の堆積物を調べようとしていないからです」
米コロラド州にあるスタッフォードリサーチ社の地球年代学者トマス・スタッフォード氏によると、過去には、放射性炭素年代測定のために発掘物を送ってきた科学者から、1万3000年前までで分析をやめるよう要求されたこともあったという。そうした厳格なラインを引くことで、さらに古い年代に属する発見が見逃されてしまった可能性もある。「探そうとしなければ、見つけられません」とスタッフォード氏は言う。「だからこそ、遺跡の数も非常に少ないのです」
アルデレアン氏は、ホワイトサンズの研究をきっかけに、現在の科学者や次世代の学生たちが、米大陸における初期人類の動きを見直してくれることを期待している。
「今後は、クロービス文化以前の可能性という話ではなくなると思います」とアルデレアン氏は言う。「これからは、ホワイトサンズ以前、ホワイトサンズ以降という言葉が使われるようになるでしょう」
(文 MAYA WEI-HAAS、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2021年10月01日付]
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