1年たたず値上げ 立ち食いそばが1000円になる日

身近な立ち食いそば屋が深刻な状況に直面している。その原因は、ロシア産そばの供給減ばかりではない。小麦粉、揚げ油、しょうゆなど、あらゆる原材料の価格が引き上げられている。「1年たたずにまた値上げしなければならない」。東京・日暮里の立ち食いそば屋が悲鳴を上げる。
「そばを普通盛りにゲソ天をトッピングして」。4月下旬の昼下がり、日暮里駅東口前にある24時間営業の立ち食いそば屋「一由そば」には、幅広い年代の客層がひっきりなしに訪れていた。建設現場に出る前の職人、学生、タクシー運転手や運送ドライバー。注文してすぐ出てくるので客の回転も速い。
温かいそばは230円(税込み、以下同)、半分の量の小盛りなら120円で食べられる。コシが強い田舎風が評判の名物「太蕎麦(そば)」に、ゲソ天、半分の紅ショウガ天を載せても価格は490円とワンコインでお釣りが来る。立ち食いそばファンは「都内一安い」とも称する。だが「早い、安い、うまい」を信条にしてきたこの繁盛店がかつてない難局に直面している。
たかが10円されど10円

「揚げ油を値上げします、という連絡がつい最近来ました」。一由(東京・荒川)の山本耕平社長は「大豆油の業務用一斗缶値上げのお知らせ」と書かれた1枚のファクスをじっと見つめる。「最近は問屋やメーカーから『毎月のお便り』みたいに届きます」と諦め顔だ。
海産物のゲソ、天ぷらに使う小麦粉、油やしょうゆ、製麺事業者から仕入れるうどんやそば──。あらゆる原材料の仕入れ価格が上昇。2021年12月15日に全商品一律10円の値上げをした。一息ついたのもつかの間、4月にはうどんの仕入れ価格が再び上がり、6月にはそば、小麦粉と仕入れ価格が上昇する見通し。
これまでも3~4年に1度、値上げをしていたが、その周期は短くなっている。新型コロナウイルス禍による供給網混乱に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻でエネルギーや穀物価格が上昇したことが背景にある。「前回から1年たたずに再び値上げすることになるだろう。前代未聞だ」。企業として生き残るため、そして従業員の賃金の原資にするためにも値上げは避けられない。苦渋の選択だ。
「毎日来てくれるお客さんの懐具合を考えると、販売価格に転嫁するにも限界がある。たかが10円、されど10円なんですよ」。山本社長の脳裏に苦い記憶がよみがえる。小盛りそばを楽しみに毎日訪れていた年配客が10円値上げした日から姿を見せなくなったのだ。
「米粉そばを開発してくれないか」。山本社長はなじみの製麺事業者にこう打診している。世界最大のそばの実生産国であるロシアばかりでなく、中国産も品薄で高値が続く見通し。「国産そば粉しか使えなくなったら、それこそ立ち食いそば1杯1000円みたいな世界ですよ。我々のような小規模の立ち食いそば屋は成り立たない」。山本社長はそう天を仰いだ。
「生わさび」の危機

うどんの杵屋、そばのそじ坊などを展開する外食企業のグルメ杵屋。コロナ禍による収益減少と原材料価格による採算悪化を受けて、22年3月期は3期連続の連結営業赤字を見込む。
コロナ禍からの営業再開後も夜は客足がまだ鈍く、原材料高が追い打ちをかける。直近2年、経済封鎖や外出制限の影響によって世界中で食材加工や冷凍工場の稼働が落ち込んだ。需給バランスが崩れ、様々な食材が値上がりしている。レストラン事業子会社の西嶋栄人経営企画部兼商品開発部長は、「今起きていることが1年~1年半後の原材料価格に響く。ロシアによるウクライナ侵攻の影響がそば粉や小麦価格に反映されるのはむしろこれからだ」と危惧する。
「利益確保のためあらゆる手を尽くす」。西嶋部長は目下、30以上あるブランドの強化策や生産性向上など、営業赤字を食い止める打開策を各ブランド長と模索している。
象徴するのが「わさび問題」だ。そじ坊では、そばに生わさびが1本付く自慢のサービスがある。「オープン当初から貫いてきたサービス。だが、おろしわさびに変更すれば原材料コストは削れる」。廃止か継続か。頭が痛い、とそばのブランド長は語る。
3月末、東京・用賀の店舗である実験を始めた。だしの品質を上げ、国産そば粉を一部使い、さらにそば粉の割合を8割に増やした。そばの香りが引き立つようにした分、価格帯も引き上げた。「値上げを最小幅に、スピーディーにあらゆる対策をして粗利を確保する」。西嶋部長は「絶望物価」に闘いを挑む。
(日経ビジネス 岡田達也)
[日経ビジネス電子版 2022年5月10日の記事を再構成]
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